元大関で現役引退後は当初、
年寄・
佐ノ山を襲名し高砂部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、人気者だったため、タレントに転向。
芸名は
四股名をローマ字にしたものである。「
小錦八十吉」は?砂部屋の由緒ある四股名であり芸名としての使用は許可されなかった。その代わり、ローマ字の「KONISHIKIは?」と聞かれて、ローマ字ならOKと許可が下りた。なお、この時点での名字は「塩田」であり、「小錦」と改姓したのはその後、前妻と離婚し再婚した後である。芸名としては認められなかったが本名としては認められた。
入門すると
高砂親方(元横綱
朝潮)に押し相撲の基礎を教え込まれる。若い頃は
?見山に稽古をつけられ言葉や習慣の違いについても相談相手になってもらうなどいろいろと世話になったという。また、
水戸泉もよき理解者で、水戸泉が優勝した場所自ら優勝旗手を務めた際に明らかになった。小錦も昇進後は後輩の外国出身力士の面倒をよく見たといい、部屋の後輩
南海龍の酒癖を大層心配して、飲みに行った際南海龍が席を立った隙に酒と
ウーロン茶をすり替えてしまったという
エピソードなどが伝わっている。後の横綱
武蔵丸は入門当初から目をかけられており、
ウエイトトレーニング器具を買ってもらうなどしたこともあるという。