1973年の日本シリーズ wikipedia|無料辞書
◆戦評
1973年の日本シリーズは
川上哲治監督率いる
読売ジャイアンツと
野村克也監督(捕手兼任)率いる
南海ホークスの対決。7年ぶりの顔合わせで南海の顔ぶれも7年前と様変わりしていた。この年からパ・リーグは2シーズン制を導入、南海はプレーオフで阪急を撃破した勢いがあった。一方の巨人はやっとの思いで最終戦で優勝を決め、しかも66勝60敗4分というおよそ優勝チームらしからぬ成績。しかも日本シリーズに強い
長嶋茂雄を負傷で欠き、巨人の苦戦が予想された。しかし終わってみれば巨人が4勝1敗で南海を圧倒、不滅の
9連覇を達成。
第1戦は
江本孟紀の好投などで南海が勝ったが、その後は巨人のペースだった。特筆すべき活躍として投手
堀内恒夫の打者顔負けのバッティングが挙げられる。第2戦では延長戦で決勝打、第3戦では2本塁打を放った。両試合で勝ち投手となり、MVPを獲得した。
南海はチーム打率.185(当時5試合シリーズ最低記録・現在の最低記録は
2007年の日本ハムで.147)と打てず、守備でもミスを重ね、自滅ともいえる負け方であった。なお、大阪球場は
1979年と
1980年の日本選手権シリーズで
近鉄バファローズの本拠球場(
日本生命球場・
藤井寺球場)が規定上使用できなかった特例処置で開催されたが、この後南海の優勝は
平和台球場に福岡ダイエーホークスとして移転するまで無かったため、南海主催としての日本シリーズ開催はこの年が最後となった。
◆試合結果
◇ 第1戦
本塁打
(巨)
土井1号2ラン(2回江本)、森1号ソロ(8回江本)
土井正三の2ランで先制した巨人は1点を返されたものの、8回
森昌彦の本塁打で再び2点差とした。しかし8回裏、南海が反撃。ヒットと2つの四球で2死満塁としたあと、
桜井輝秀の押し出し四球で1点差に詰め寄りなお満塁の場面で
藤原満が2点タイムリーヒットを放ち、逆転に成功。
江本孟紀は9回も2安打で1死1、2塁のピンチを迎えるが、後続を抑えて完投勝利。
◇ 第2戦
10月28日 大阪 入場者28135人
(巨)倉田、○堀内(1勝)-森
(南)山内新、●佐藤(1敗)-野村
本塁打
(巨)上田1号ソロ(6回山内新)
桜井のタイムリーヒットで南海が先制点を挙げたが、巨人は4回、投手の
倉田誠が同点タイムリーヒット、6回には伏兵・
上田武司の本塁打で逆転した。しかし南海は7回、2つのヒットと四球で無死満塁と倉田を攻めた。この場面で巨人は
堀内恒夫をリリーフに送る。堀内は
ウィリー・スミスに犠牲フライこそ許したものの、続く桜井を投ゴロ併殺に仕留め、無死満塁のピンチを1失点にとどめた。延長11回、1死2塁から再び投手の堀内が決勝タイムリーヒット。対戦成績を1勝1敗のタイに持ち込んだ。
◇ 第3戦
(巨)○堀内(2勝)-森
本塁打
(巨)堀内1号ソロ(3回松原)、2号2ラン(6回中山)
巨人は先発の堀内が打撃面でも大活躍。3回1死から、
松原明夫から野手顔負けの特大ホームラン。6回にも
中山孝一からこの日2本目の2ランを叩き込んだ。投手面では、9回にも1点を許したが、この2失点だけで完投勝利。
稲尾和久に並ぶシリーズタイ記録となる通算11勝目を挙げた。
南海は
門田博光のバックスクリーン右への本塁打で完封こそ逃れたものの、失点が大きすぎ、焼け石に水。
◇ 第4戦
10月31日 後楽園 入場者38270人