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「1973年の日本シリーズ」||スポーツ-master.com 【05/29update】

1973年の日本シリーズ wikipedia|無料辞書

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1973年プロ野球日本シリーズ

◆戦評
1973年の日本シリーズは川上哲治監督率いる読売ジャイアンツ野村克也監督(捕手兼任)率いる南海ホークスの対決。7年ぶりの顔合わせで南海の顔ぶれも7年前と様変わりしていた。この年からパ・リーグは2シーズン制を導入、南海はプレーオフで阪急を撃破した勢いがあった。一方の巨人はやっとの思いで最終戦で優勝を決め、しかも66勝60敗4分というおよそ優勝チームらしからぬ成績。しかも日本シリーズに強い長嶋茂雄を負傷で欠き、巨人の苦戦が予想された。しかし終わってみれば巨人が4勝1敗で南海を圧倒、不滅の9連覇を達成。
第1戦は江本孟紀の好投などで南海が勝ったが、その後は巨人のペースだった。特筆すべき活躍として投手堀内恒夫の打者顔負けのバッティングが挙げられる。第2戦では延長戦で決勝打、第3戦では2本塁打を放った。両試合で勝ち投手となり、MVPを獲得した。
南海はチーム打率.185(当時5試合シリーズ最低記録・現在の最低記録は2007年の日本ハムで.147)と打てず、守備でもミスを重ね、自滅ともいえる負け方であった。なお、大阪球場は1979年1980年の日本選手権シリーズで近鉄バファローズの本拠球場(日本生命球場藤井寺球場)が規定上使用できなかった特例処置で開催されたが、この後南海の優勝は平和台球場に福岡ダイエーホークスとして移転するまで無かったため、南海主催としての日本シリーズ開催はこの年が最後となった。

◆試合結果

◇ 第1戦
10月27日 大阪 入場者27027人
(巨)●高橋一(1敗)-
(南)○江本(1勝)-野村
本塁打
(巨)土井1号2ラン(2回江本)、森1号ソロ(8回江本)
[外部リンク]審判岡田豊(球)セ富澤 パ吉田 セ山本文(塁)パ斎田岡田功(外)
土井正三の2ランで先制した巨人は1点を返されたものの、8回森昌彦の本塁打で再び2点差とした。しかし8回裏、南海が反撃。ヒットと2つの四球で2死満塁としたあと、桜井輝秀の押し出し四球で1点差に詰め寄りなお満塁の場面で藤原満が2点タイムリーヒットを放ち、逆転に成功。江本孟紀は9回も2安打で1死1、2塁のピンチを迎えるが、後続を抑えて完投勝利。

◇ 第2戦
10月28日 大阪 入場者28135人
(巨)倉田、○堀内(1勝)-森
(南)山内新、●佐藤(1敗)-野村
本塁打
(巨)上田1号ソロ(6回山内新)
[外部リンク]審判谷村(球)パ斎田 セ富澤 パ吉田(塁)セ山本文 パ道仏(外)
桜井のタイムリーヒットで南海が先制点を挙げたが、巨人は4回、投手の倉田誠が同点タイムリーヒット、6回には伏兵・上田武司の本塁打で逆転した。しかし南海は7回、2つのヒットと四球で無死満塁と倉田を攻めた。この場面で巨人は堀内恒夫をリリーフに送る。堀内はウィリー・スミスに犠牲フライこそ許したものの、続く桜井を投ゴロ併殺に仕留め、無死満塁のピンチを1失点にとどめた。延長11回、1死2塁から再び投手の堀内が決勝タイムリーヒット。対戦成績を1勝1敗のタイに持ち込んだ。

◇ 第3戦
10月30日 後楽園 入場者34713人
(南)●松原(1敗)、中山、村上雅-野村
(巨)○堀内(2勝)-森
本塁打
(南)門田博1号ソロ(7回堀内)
(巨)堀内1号ソロ(3回松原)、2号2ラン(6回中山)
[外部リンク]審判パ道仏(球)セ谷村 パ斎田 セ岡田功(塁)パ岡田豊 セ山本文(外)
巨人は先発の堀内が打撃面でも大活躍。3回1死から、松原明夫から野手顔負けの特大ホームラン。6回にも中山孝一からこの日2本目の2ランを叩き込んだ。投手面では、9回にも1点を許したが、この2失点だけで完投勝利。稲尾和久に並ぶシリーズタイ記録となる通算11勝目を挙げた。
南海は門田博光のバックスクリーン右への本塁打で完封こそ逃れたものの、失点が大きすぎ、焼け石に水。

◇ 第4戦
10月31日 後楽園 入場者38270人