古代の西戎の地で、
漢代には姜族が占拠し、
西羌(せいきょう)と呼ばれた。
隋王朝は西海、河源などの郡を設置したが、
吐谷渾(とよくこん)が勃興し、領域とした。七世紀には、
吐蕃王朝(とばんおうちょう)の
チベットと
唐王朝の
中国の抗争の舞台となり、八世紀に大部分がチベット領となった。
822年、チベットと中国の間で和平と国境を定めるための条約が締結され、
青海湖の西南にある
日月山が両国の国境と定められた。条約の文面は
チベット語と
中国語(
漢文)の二カ国語で石碑にきざまれ、チベットの都
ラサ、中国の都
長安、日月山の三カ所に設置された。ラサに設置された石碑のみ、現在まで失われずに残り、「
唐蕃会盟碑」として知られている。吐蕃王朝の統治下で、この地に居住する諸種族の多くが
チベット人としての自意識を持つようになって現在に至っている。