公務員の父(志布志町役場に勤務していた)と元陸上選手の母との間に生まれ、志布志小学校在学時から地元の
志布志高校の2年生までは剣道で鳴らした。その後相撲に転向し、高校を2年生途中で中退して上京。元
関脇・
鶴ヶ嶺が率いる君ヶ浜部屋に入門し、
1977年5月場所、17歳で
初土俵を踏んだ(その後、君ヶ浜部屋は師匠の名跡変更に伴い、「井筒部屋」に名称が変わっている(同年12月〜))。序ノ口当初から「陣岳」の
四股名で相撲を取ったが、この名は故郷・志布志町にある「陣の丘」に因んでいる。長身を生かしての突っ張りに威力があり、右四つに組んでも相撲が取れた。その恵まれた体躯を生かして順調に出世し、
1982年7月場所で
十両昇進、そして
1983年1月場所で新入幕を果たす。将来を嘱望されたが、攻めに厳しさがなく、
幕内上位ではなかなか勝てなかった。また取り口も地味で幕内では一度も大勝ちがなかったため、
三賞とは無縁のまま力士生活を終えている。小結は2場所(1987年11月場所と1990年9月場所)経験したが、いずれも大負けして、地位を保てなかった。しかし一時は幕内力士6人を擁した井筒
関取衆の一角として、井筒部屋の隆盛を支えた功労者の1人である。また屈強な体を持っており、
序ノ口から最終場所途中までの約14年間で、1036回連続出場を記録した。