初土俵の場所は初日から6連勝だったものの、勝てば新十両の可能性もあった7番相撲で敗れ、新十両はお預けとなった。それでも翌場所も勝ち越して9月場所に新十両に昇進し、
四股名を本名の成田から現在の豪風に変更した。これは「豪快な相撲で豪華な風が吹くように」との願いを込めて師匠の
尾車が命名したものである。十両の土俵でも勝ち越しを続けて3場所で通過し、結局一度も
負け越しを経験しないまま
2003年3月場所に新入幕を果たしたが、初日からいいところなく連敗。三日目に
栃乃花を土俵際で辛くも
突き落としたが、その際に右膝と右足首を痛めて
休場した。結局1勝3敗11休に終わり十両に転落した。9月場所に十両優勝を果たし、翌場所に幕内に復帰した。
その後も大勝ちはなく、
ぶどう膜炎を患って十両に落ちるなど一進一退を続けたが、
2006年1月場所に東前頭3枚目に番付を上げ、初めて
横綱・
大関と総当たりする位置についた。そして
千代大海、
魁皇の2
大関を破る活躍を見せたが、4勝11敗で負け越してしまった。だが、東前頭10枚目で迎えた同9月場所では、3勝5敗で迎えた9日目から7連勝し幕内自身初となる2桁勝利を見事果たした。その後は
前頭上位から中位あたりで定着するようになり、東前頭5枚目で迎えた
2007年5月場所では
琴欧洲を破るなどして8勝をあげ、前頭6枚目以上ではじめて勝ち越した。再び東前頭3枚目に番付を上げた7月場所では4勝11敗と大きく負け越してしまった。