陰陽五行思想・
風水思想に基づいて建設された
平安京において、都の北に位置する
玄武として、南の
巨椋池(
朱雀、現存しない)、東の
鴨川(
青龍)、西の
山陰道(
白虎、現在の
国道9号)とともに都の要とされた。以来その美観が尊ばれ、
清少納言も『
枕草子』231段にて「岡は船岡」と賞賛している。1467年、
応仁の乱の際に西軍を率いる
備前国守護の
山名教之や
丹後国守護の
一色義直らが船岡山に山城(
船岡山城)を建設し立てこもった(西軍の陣地となった船岡山一帯はそれ以来「
西陣」の名で呼ばれるようになる)。
織田信長の死後
豊臣秀吉が
正親町天皇の勅許を受け、船岡山に織田信長の廟を建設する。1869年(明治2年)
明治天皇の宣下により、改めて船岡山に信長を祭る神社が作られることとなり、1875年(明治8年)建勲神社が創設される。1931年には山全域が風致地区に指定され、「船岡山公園」として市民の憩いの場となるように整備される。しかし戦前まで田園風景が広がっていた一帯も戦後は開発の波に晒され、2000年代には船岡山を削って高層マンションを建設する計画が持ち上がるなどしている。
また、京都の自然200選(平成7年3月27日京都府指定)、風致地区(昭和6年7月14日京都市指定)にも指定され、地形や現状の変更が行われないように保護が計られている。