陸前国(
宮城県気仙沼市)出身。五
尺四
寸(163.6cm)という歴代横綱の中では一番低い身長。体重は四十二
貫(161.5kg)。小柄であったため入門当時は雑用ばかりやらされ稽古もつけてもらえなかったが、この逆境が猛烈な闘志を生んだ。北山辰五郎の
四股名で
前相撲から取り、
雲州藩のお抱えとなり天津風雲右衛門と改名。八代横綱
不知火諾右エ門と同時入幕。
盛岡南部候の抱えに転じて立神と改め
天保12年閏正月
大関昇進を飾る。1度
関脇に下がって岩見潟丈右衛門と改名。天保15年10月再び大関となって3日目の土俵から秀ノ山を襲名した。
弘化4年9月(弘化2年11月とも)、39歳(38歳とも)で横綱推挙。入門から横綱昇進まで19年かかった。優勝相当成績6回。幕内通算27場所112勝21敗33分2預96休、勝率.842。その姿は多くの
浮世絵に残されている。肥満体で前や横に脆い弱点を猛稽古で補った。四股名のまま
年寄となり、12代横綱
陣幕久五郎ら多数の力士を育て権勢を揮ったがその余り自分の弟子を優遇するようになったため他の力士たちの不興を買い、「嘉永の紛擾」と呼ばれる相撲史初の
ストライキを引き起こしてしまった。