福田茂 wikipedia|無料辞書
◆略歴
・
3月25日、開設33周年記念グランプリレース(川口オートレース場)優勝。当時の競走車呼名は「シルビア」。競走タイムは3.427。
・
3月25日、開設35周年記念グランプリレース優勝。競走タイムは3.433。
・
7月20日、第13回キューポラ杯争奪戦(川口オートレース場)で優勝。当時の競走車呼名は「ユートピア」。競走タイムは3.401。
・前期に自身初の川口A1にランク付けされる。
・前期・後期ともに川口A1となる。
・前期に川口A1となる。
・開場27周年記念グランプリレース(山陽オートレース場)優勝。競走タイムは3.608。
・オートレース表彰選手において優秀選手賞を受賞。以降、4年連続で優秀選手賞を受賞。
・
6月30日、開場28周年記念第2回平成チャンピオンカップ(山陽オートレース場)優勝。競走タイムは3.676。
・前期・後期ともに川口A1となる。以降、1997年前期まで4年半、9期連続でA1にランクされる。
・
3月27日、GI開設43周年記念グランプリレース(川口オートレース場)優勝。競走タイムは3.398。
・
3月21日、GI開設44周年記念グランプリレース(川口オートレース場)で優勝。競走タイムは3.397。
・
6月19日、GII第20回まがたま杯争奪戦優勝(川口オートレース場)。競走タイムは3.394。
・オートレース表彰選手において2年ぶりに優秀選手賞を受賞。
・後期に川口A1となる。
◆人物
福田は船橋オートレース場所属の
島田信廣(引退)、
岩田行雄(15期)、
池葉弘(引退)、伊勢崎オートレース場所属の
鈴木和彦(引退)らと同様に1990年代初頭に大活躍した選手である。
福田が所属する川口オートレース場は「川口四天王」と呼ばれた不世出のレーサー、
広瀬登喜夫(引退)、
阿部光雄(6期)、
且元滋紀(9期)、
篠崎実(9期)の4人が長らくトップの座にあり、福田はその下の「川口七福神」(
井澤芳雄、
風間義夫、
嶋田守孝、
清水右也、
滝口正人、
長谷川啓、そして福田の七人のこと)の一人で、トップからはやや遠い位置にあった。しかし、主力の1級二気筒車が
トラから
フジへ変わっていった頃、フジに乗り換えた福田は一気に全国区に登り詰めていった。
初めてSGを制覇したのは、
1992年のオールスターオートレースだった。その時既に42歳。立派なベテランである。しかし、この辺りから福田は川口の看板レーサーとなり、徐々にではあるが「川口四天王」を凌駕していく。
試走タイムを出さないことでも有名である。理由は、かつて試走で抜群の一番時計をマークしたものの、レースでは凡走に終わり、ファンのみならず関係者にまでこっぴどく怒られたことであるという。また、現在ではイン走法が主体だが、かつてはアウト走法で走っていたといわれる。
◆長期斡旋停止
2005年終盤から
2006年にかけて、福田はまったくレースに出なかった。当時の公式発表では「欠場」と記載されていたが、この段階で一部ファンの間では欠場の理由に関する噂が広まっていった。そして、2006年3月、日本小型自動車振興会は「小型自動車競走実施規則第41条2項、及び第42条、第82条に規定する『小型自動車競走に参加して、競走車(二輪車)構造基準』に違反したことが明らかとなったため出場斡旋のの停止を行う。」として、三年間の長期斡旋停止処分を下すと発表した。