小学校時代は
朝日新聞社の
健康優良児に選ばれたという経歴をもち、運動神経抜群にして頭脳明晰、噂を聞きつけた
横綱玉錦の熱心な勧誘に折れて
1937年(昭和12年)5月場所に
初土俵を踏む。福住(のちの
玉乃海)と同期だった。順調に出世し、
1942年(昭和17年)1月場所、20歳で新入幕。同時に入幕した
輝昇・
若瀬川とともに若手として期待され、
突っ張りを交えた颯爽とした取り口で関脇まで昇進した。顔の合った
横綱は全て破っているが、
1950年(昭和25年)1月場所、
前頭2枚目で2横綱、1
大関を倒して9勝をあげながら、翌場所前頭筆頭に止められた不公平さに失望したのか、
番付面の不満を理由に翌場所突如引退、
年寄・
片男波を襲名したがまもなく廃業した。その後
NHKの相撲解説者として、独特の語り口で人気を博した。