ライブリマウントでの活躍以降は年間の勝ち鞍こそ2桁に乗せるのだが、これといってレベルの高い馬に出会うことが出来なかった。それでも関西の中堅騎手としての地位は揺るぎなく、競馬に対する真摯な態度から厩舎関係者や馬主の信頼も厚く、重賞でも人気を背負うような馬の騎乗を任されたりもしていた。しかしその重賞も勝てなくなり、
1998年の
ウインターステークスをマチカネワラウカドで制して以降は重賞勝ちに恵まれていなかった。
しかし、
2006年には石橋にとって転機が訪れる。1月の
シンザン記念をゴウゴウキリシマで制し、1998年ウインターステークス以来約7年ぶりの重賞制覇を成し遂げると、新馬戦から乗り続けていた
瀬戸口勉厩舎の
メイショウサムソンとのコンビ
[当初瀬戸口は、メイショウサムソンの鞍上に福永祐一を考えていたのだが、新馬戦の日には福永は別場での騎乗があったため、石橋に白羽の矢が立つこととなった。また、メイショウサムソンの調教の多くは石橋自らが跨っている。]で
スプリングステークスを制覇し、
クラシック戦線に名乗りを挙げる。皐月賞もそのメイショウサムソンで挑み、騎手デビューから22年目にして初の、そして悲願のGI制覇を成し遂げた。続く
東京優駿(日本ダービー)も制覇して二冠を獲得し、
ダービージョッキーの仲間入りを果たしている(三冠を賭けた
菊花賞は4着に敗れた)。また、この年の暮れには騎手としての長年の功績が認められ、第39回
日本プロスポーツ大賞功労賞を受賞した。
2007年も引き続きメイショウサムソンとのコンビで
大阪杯、
天皇賞(春)を制し、
宝塚記念では2着に敗れたが、好成績と言える内容で春シーズンを終えた。しかし、宝塚記念後に同馬の
凱旋門賞挑戦が決定。同時にオーナーの意向で鞍上には武豊を迎えることとなり、コンビを解消することになる。その後、同馬に騎乗することはなかったが、
2008年11月の京都競馬で武豊が落馬負傷して騎乗できなくなったため、
ジャパンカップで再び騎乗することが決まった。
武豊が敬愛している先輩としても知られている。行動を共にすることも多く、実際に石橋が皐月賞を制覇したとき、武は自分のことのように喜んでいたという。また、メイショウサムソンがオーナーの意向で武に乗り替わった際も石橋からサムソンの癖などあらゆる点についてレクチャーを受け、後の天皇賞制覇に繋げた。また、栗東所属の騎手たちにも慕われているようで、皐月賞制覇の際には中山競馬場の騎手控え室で
拍手が沸いたという。なお、石橋は武の実兄と同級生である。