中学卒業と同時に立田川部屋に入門し、
1993年3月場所に初土俵を踏んだ。
1998年7月場所には
幕下に昇進。時間は掛かったものの、着実に力を付けて行った。
2000年9月場所後に師匠・立田川親方が定年を迎え部屋を閉めることとなり
敷島・
十文字らと共に陸奥部屋に移籍。稽古相手にも恵まれるようになり、
2002年11月場所に
十両に昇進した。しかし1場所で幕下に陥落し、その後幕下中位に低迷した時期もあったが、
2005年9月場所に16場所ぶりに十両に復帰した。11月場所には十両通算3場所目にして初の勝ち越しを決めた。
翌
2006年1月場所は東十両8枚目で、序盤から好調で11勝4敗と十両では自己最高の成績で大勝ちし、新入幕が有力視されたが、西十両6枚目で10勝5敗の
武雄山が優先され、また西前頭13枚目で5勝10敗の
嘉風が十両陥落を免れたため、東十両筆頭にとどまった。3月場所は新入幕を狙ったが、思うように星が伸びずに、5勝10敗に終わった。5月場所は西十両5枚目の地位で9勝6敗と勝ち越したが、新入幕はならず。3回目の新入幕挑戦となった7月場所は苦労しながらも千秋楽に勝ち越しを決め8勝7敗で、「3度目の正直」を果たし、新入幕を果たした。初土俵からの所要81場所での新入幕は史上9位タイのスロー記録であった。しかしその後は十両に陥落している。平成19年7月場所では十両11枚目で十両と幕下の入れ替え戦的な要素を持った
市原との取り組みに敗れたなど6勝9敗だったが、翌9月場所は十両ギリギリの西十両14枚目に留まった。余談だが幕下10枚目格付け出しでデビューした市原は4場所連続で勝ち越したものの十両に昇進できなかった。同場所では場所前の両膝の手術の影響から調子が上がらず、初日に再び市原に敗れるなど5勝10敗と負け越し、この場所6勝1敗と勝ち越した市原らと入れ替わりに翌11月場所には幕下に陥落した。