地元の中学3年生の時、元
関脇・
玉乃海の
片男波親方の勧誘を受け、片男波部屋に入門。
1970年1月場所に
初土俵を踏んだ。大器晩成を地でゆくタイプで、初土俵から9年以上かかって
1979年5月場所に
十両昇進。同場所は右手小指の骨折というアクシデントもあり振るわず、3勝12敗と大きく負け越してすぐに
幕下に陥落。再び十両に返り咲くまで2年2ヶ月を要した。
1982年5月場所、初土俵から74場所をかけて念願の入幕を果たす。その後の約1年半は
幕内中位から下位で活躍したが、右ひじの古傷の悪化により次第に番付を落とし、
1984年11月場所には3年半ぶりに幕下に陥落してしまった。この時すでに30歳となっていたが、ここから奮起して、その場所(11月場所)7戦全勝で幕下優勝を果たして1場所で十両に復帰。さらに
1985年3月場所では十両優勝して翌場所3度目の入幕を果たした。以降は
幕内に定着し、
1986年11月場所では
千代の富士から
金星を獲得(4日目)。さらに
1987年11月場所では、初土俵から107場所をかけ、33歳3ヶ月(※番付発表時)にして小結に昇進した(前場所の成績は8勝7敗(地位は前頭5枚目)という平凡なものであり、この地位での1点勝ち越しでは本来、
三役への昇進はまず叶わない筈であった。しかし、前頭上位陣で好成績を挙げた者が少なかったため、玉龍の小結への昇格が実現した)。これは、現在でも大相撲史上1位の三役へのスロー昇進記録である(因みに2位は、
琴稲妻の所要106場所)。
1989年以降は十両に定着したものの、3年近くそこで相撲を取り続け、昭和20年代生まれの最後の力士として活躍した。同時期に活躍した
多賀竜(最高位・関脇、現・
鏡山親方)とは
四股名の読みが似ているため、2人の取組は実況泣かせだった。
1992年1月、7年2ヶ月ぶりに幕下に落ち、同場所(1月場所、東幕下筆頭の地位で全休)を最後に37歳で引退した。しかし、
年寄株の空きがなかったため、直ちに廃業した。22年もの長い間土俵に上がった、長持ち力士であった。廃業後は、
宇都宮市内で相撲料理店を経営しているとの事である。趣味は音楽鑑賞、
血液型はA型。