学生時は、バスケットボールに熱中し、
モンゴル相撲の経験はほとんどお遊び程度でやっただけであった。しかし、モンゴルの英雄・
旭鷲山の取り組みを見ているうちに自分も力士になりたいと考えるようになり、偶然帰国していた旭鷲山を親戚から紹介され、来日を決意。ちょうど旭鷲山の兄弟子である立浪親方(元
小結・
旭豊)がモンゴル人力士を探していたこともあり立浪部屋を紹介され、
2000年に来日した。入門直前には実業団の相撲部で稽古を付けてもらい、
2001年3月場所に初土俵を踏んだ。
新十両となった1月場所5日目には、阪神タイガースのロゴマークと酷似したデザインの化粧まわしをつけ、事前に説明を受けていなかった球団営業部が調査に乗り出す事態となった。この化粧まわしのデザインは、虎の顔が左向き(正規デザインは右向き)で、鼻の色が薄く、顔の縞模様が異なるものだった。しかしその後球団側が、師弟が阪神ファンであること等を確認して特別許可を出し、翌3月場所には立浪大阪後援会から球団公認の正規ロゴマークが入った化粧まわしが贈られ、場所後には球団事務所を表敬訪問した。
その場所は好調で11勝4敗と勝ち越した。翌3月場所も西十両3枚目で9勝6敗と勝ち越し、新入幕の可能性もあったが、翌5月場所で東前頭16枚目の
時津海と西前頭16枚目の
十文字に阻止され、東十両筆頭止まりで惜しくも入幕はならなかった。しかし、筆頭なので勝ち越せば入幕位置ではあったが、そのプレッシャーなのか否か、5勝10敗と大敗してしまった。7月場所、9月場所、11月場所も続けて負け越しで、1年間守り抜いた十両の座から陥落することになり、
2007年1月場所は西幕下4枚目で迎え、優勝に王手をかけていた
境澤との取組で敗れたものの5勝2敗と好成績を残した。しかし、自身より番付が上の白石(現
白乃波)・
高見藤・
北勝岩の3人が勝ち越したため、再十両は果たせなかった。翌3月場所は東幕下筆頭で4勝3敗と勝ち越し、返り十両を果たした。返り十両の場所でも8勝7敗と勝ち越し、翌7月場所も勝ち越すなど番付を徐々に戻し、
2009年5月場所では西十両筆頭で11勝をあげ、翌7月場所で新入幕(西7枚目)を果たした。