当時はホームタウンが1つの
市区町村を原則としていたため、地域名である湘南のチーム名採用が却下され、本拠地の平塚市の名前を採用した経緯がある。(参考として
地域密着#チーム名参照されたい)また、チームのホームスタジアムである平塚競技場も当時はJリーグホームスタジアムとしての基準(スタンドで15000人以上収容、芝生部分はカウントしない等。当時メインスタンド以外はすべて芝生スタンドであった)を満たしておらず、その改修工事がネックとなって一時はJリーグ昇格が凍結される恐れがあったが、急遽平塚市が競技場のJリーグ規格への改修の予算を取り付けて昇格へとこぎつけた。
昇格したこの年はサントリーシリーズこそ12チーム中11位と低迷したが、ニコスシリーズでは優勝争いをするほどの躍進を遂げる。JFL時代以来、名良橋、岩本の両サイドバックが常に攻撃参加する超攻撃を展開していたが、サントリーシリーズでは守備が破綻、大量失点に苦しんでいた。そこで左サイドバックに
公文裕明を起用、
エジソンと
田坂和昭の両ボランチがサイドバックのカバーにまわる守備体系を整備、大躍進につながり、
湘南の暴れん坊、
ベルマーレ旋風などと言われた。特に公文の守備面での活躍は目覚しく、左サイドにおける絶対的存在であった。公文出場停止時の2試合に2敗しており、優勝した
ヴェルディ川崎との差が1勝差で、得失点差は同点であったために、これがなければ優勝できた可能性が高い。結局セカンドステージ2位に終わったが、同年の
天皇杯全日本サッカー選手権大会では勢いそのままに優勝を成し遂げた。田坂が新人王、ベッチーニョ、名塚がベストイレブンを受賞した。