その一方で、
三沢光晴率いる
超世代軍とジャンボ鶴田率いる鶴田軍との抗争では鶴田軍についてメインイベントなどで戦う他、
永源遙や
大熊元司らと共に
悪役商会の一員として
ジャイアント馬場、
ラッシャー木村らの
ファミリー軍団と抗争を繰り広げるなど、名バイプレイヤーとして分裂前の全日本を支えた(よく試合後の
ラッシャー木村のマイクパフォーマンスで
独身ネタで槍玉に挙げられる)。中でも低空ドロップキックの開発は多くのプロレスラー、特にジュニアヘビー級のファイトスタイルに極めて大きな影響を及ぼす。低空ドロップキックと無数の関節・ストレッチ技、ナックルパートや顔面キック、アトミック・ドロップの体勢からの急所攻撃など、テクニックとラフを兼ね備えた観客を強く刺激するファイトスタイルを確立してジュニアのみならず三沢らヘビー級とも堂々渡り合い、「赤鬼」の異名を取る。
2000年に起こった大量離脱騒動で、中堅レスラーとして活躍していた渕はトップを張らざるを得なくなった。8月の新日本プロレス
両国国技館大会に会場入りした際に「30年の長い間、全日本プロレスと新日本プロレスとの間には、厚い壁がありました。今日、その壁をぶち破りに来ました」と歴史に残るマイクアピールをし交流戦をスタートさせた。またこのとき現れた当代一のカリスマ・
蝶野正洋が帽子を投げつけて帰ろうとすると、「蝶野、忘れ物だ」と余裕綽々で帽子を放り返し、格負けしない振る舞いを見せ付けたことも語り草になっている。なお、渕の登場に際しては事前に新日本プロレスに承諾を得ていたこと、また正装でリングに上がり「新日本プロレスのファンの皆様、どうも大変お騒がせしました」としめくくったことから、会場からは異例の大フッチーコールが沸き起こった。