レスリングを始めて4〜5年程度で全日本選手権・世界選手権等にて優勝。実績を重ね、
2004年の
アテネオリンピックに女子レスリング72kg級の日本代表として出場した。最終順位は3位(準決勝で
王旭(
中国)に敗退)。開会式では日本選手団の旗手を務めた。
2006年の世界選手権女子72kg級決勝で、
スタンカ・ズラテバ(
ブルガリア)のバッティング(頭突き)を顔面に受け負傷。審判団に対し父が抗議をするが、ズラテバの当該行為にはペナルティが課せられないまま試合は続行。浜口は敗戦し、同選手権72kg級2位となる。試合後、浜口の負傷は全治4か月の
鼻骨骨折(4ヶ所)と判明。日本レスリング協会は、ズラテバの危険行為に関する抗議文書を国際レスリング連盟およびブルガリアレスリング協会に送付した
。
2005年および2006年の世界レスリング選手権の決勝で敗退。最終順位は2年連続で2位。
2007年5月に
ビシケクで行われたアジア選手権72kg級の準決勝にて、アテネオリンピックで敗れた王旭を2対1で下し、つづく決勝ではオリガ・ジャニベコバ(
カザフスタン)を2対1で下して優勝した。同年9月に世界レスリング選手権2回戦で、因縁となるズラテバと対戦。今度は技の掛け合い(攻防)の際の微妙な状況でズラテバにのみポイントが加算されるという事態が発生した。これに対しスコアボードを叩いて抗議する浜口であったがビデオ映像のチェックは行われないまま試合は続行。結果はズラテバの勝利に終わり、敗戦した浜口はこの大会では
北京オリンピック出場権を得ることはできなかった。これについて、日本レスリング協会は誤審だとして国際レスリング連盟に対し審判に制裁を科すよう抗議した。