1620年7月、そのような事がありながらも何とか常洛が即位する事が出来た。泰昌帝は幼い頃から英邁だったので臣下たちの期待は高い物があったのだが、しかし即位して一ヶ月で死去してしまった。この泰昌帝の死に関わる事件が「紅丸の案」である。即位してほどなく下痢を催した泰昌帝に、鴻臚寺丞を務めていた李可灼なる者が丸薬(
紅鉛丸)を勧め、泰昌帝が一つを服用したところ気分がよくなった。ところが、もう一丸飲んだところ、翌日俄かに死去したという事件である。これを陰謀と見なして、背後関係を追及するべきだと言い出す者が現れ、まず丸薬を勧めた李可灼が弾劾され、次いで紅丸を勧めるのを止めなかったという理由で、大学士の方従哲も弾劾された。