池谷公二郎 wikipedia|無料辞書
|生年月日 =
|没年月日 =
|身長 = 178
|体重 = 78
|利き腕 = 右
|打席 = 右
|プロ入り年度 =
|ドラフト順位 = ドラフト1位
|初出場 = 1974年6月29日
|最終出場 = 1985年10月24日
|経歴 =
・ 金指造船所
|経歴補足題 = コーチ歴
|経歴補足 =
・ 広島東洋カープ (1989 - 1993)
|選出国 =
|選出年 =
|得票率 =
|選出方法 =
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◆ 経歴
赤ヘル投手陣の一角として、
1975年カープの初優勝時には
外木場義郎の20勝に次ぐ18勝、翌・
1976年には20勝を挙げて
最多勝を獲得、
沢村賞を受賞。3度の
セ・リーグ優勝と2度の日本一に貢献した。その一方で高めのストレート勝負は一発の危険と隣り合わせであり、かつ
広島市民球場をホームグラウンドとしていたことから被本塁打も多く
1977年には48被本塁打を記録し、これはプロ野球記録となっている。
右腕を腰の後ろまで回し、左腕を高く掲げ、遠心力で投げるシーソーのようなフォームから「シーソー投法」あるいは「ぎっこんばったん投法」とも呼ばれた。バッターとの真っ向勝負を挑み1976年、77年と二年連続
奪三振王にもなった。
王貞治は引退を決意した一因は池谷のストレートの伸びについていけなくなった事もあると自著に書いている。しかし、シーソー投法で当然のように肩を痛め、その後は思った成績は残せず
1985年、
古葉竹識監督の勇退とともに引退。
現在はわかりやすい解説が売りの解説者として好評を博しているが、解説者を始めた初期には、結論の多くを「〜(選手名)の気持ちが勝ったから/負けたから」と帰結させる解説スタイルが批判を受け一時期は選手の心情の説明でさえも、しばしば「気持ち」という言葉を避ける事も見られた。
◆年度別投手成績