永大産業サッカー部 wikipedia|無料辞書
永大産業サッカー部(えいだいさんぎょうサッカーぶ)は、
山口県平生町に存在した
サッカークラブ。創部から僅か2年で
日本サッカーリーグ1部に昇格し、日本サッカー界に旋風を巻き起こしながら親会社の業績悪化により実質5年間の活動で消滅した。
◆歴史
大阪府に本社を置く建材メーカー・
永大産業の
深尾茂社長が「日本一のスポーツチームのオーナーになってやろう」と
1972年、工場のあった山口県平生町を本拠地としてサッカー部を創設した。
深尾の特命を受けた東京ガスサッカー部(
FC東京の母体)出身の
河口洋がチーム作りを担当、また広島県サッカー協会の
渡部英麿らに選手補強の協力を仰いだ。そして前年に休部した
名古屋相互銀行(名相銀)から、渡部の教え子である
大久保賢を監督として迎え、また同サッカー部で移籍を希望した計6選手が加入し戦力が整った。
経験豊富な日本リーグ(JSL)出身の選手達の力と、整備されたグラウンドを所有し練習環境が万全であった事もあり、一年でJSL二部入り、二年目にJSL一部と短期間でJSL昇格を果たした。
1974年後期以降は加わった
ジャイロ、ジャイール、アントニオの
ブラジル人トリオの活躍により躍進。JSLでは上位進出はなかったが、同年の第54回
天皇杯で創部三年目で決勝進出という奇跡的な偉業を達成した(
釜本邦茂擁する
ヤンマーに1対2で惜敗)。
1975年にはセルジオ越後がコーチに就任し、トップチームの指導のみならず地元の少年サッカーの指導にもあたった。しかし
1977年3月に、会社の業績悪化のため
[永大産業は1978年、約1,800億円の負債を抱え、当時としては戦後最大ともいわれた一時倒産をした事で有名だが、2007年再上場を果たしている。]廃部が決定し、短い歴史に幕を下ろした。
現役生活を続ける意思のあった選手達の中で、MFのジャイロが
読売クラブ。FWの
中村道明が
東芝。GKの城山義輝、DFの山本誠、権代正樹、MFの三瓶弘幸が
本田技研へと活動の場を求めた。
◆略歴と主なタイトル
・1973年 JSL2部昇格
・1974年 JSL1部昇格
・1976年 永大サッカー部に改称
・1977年 3月、廃部
◆戦績
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!年度
!カテゴリ!!順位!!勝点!!勝!!分!!敗!!得点!!失点!!監督
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1973||JSL2部||優勝||26||11||4||3||51||24||rowspan="3"|大久保賢
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1974||JSL1部||9位||14||4||6||8||19||30
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1975||JSL1部||5位||18||8||2||8||30||29
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1976||JSL1部||7位||18||7||4||7||18||24||塩澤敏彦
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◆全所属選手(1972年正式発足後)