しかし、小兵であるがために、相撲をおぼえられてからは苦戦もし、
三役に昇進したのは戦後の
1947年11月場所、すでに30歳を越えていた。その後は幕内中堅で存在感を出し、
1951年1月場所には12勝3敗の好成績で初の
技能賞を受賞したが、翌1951年5月場所に
眼底出血のために休場、そのまま引退した。引退後は
年寄・
高崎を襲名して出羽海部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたるとともに、
相撲茶屋「紀の国家」(相撲案内所 二番)を経営していたが、
1962年に45歳で死去した。なお、娘(富樫セツ子)は横綱・
柏戸に嫁ぎ、父の跡を継いで「紀の国家」を経営した。