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「桂太郎」||スポーツ-master.com 【05/28update】

桂太郎 wikipedia|無料辞書

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桂 太郎/桂 清澄(かつら たろう/かつら きよずみ、1848年1月4日(弘化4年11月28日) - 1913年10月10日)は、日本武士(長州藩士)、陸軍軍人政治家。第11・13・15代内閣総理大臣元老陸軍大将正二位大勲位功三級公爵台湾協会学校(現拓殖大学)創立者初代校長。毛利家の庶流で重臣であった桂家の出身で、大江広元桂元澄などの子孫に当たる。通称は「太郎」、清澄(きよずみ)。元老第二世代。長州閥で山縣有朋の直系。
日露戦争で日本を勝利に導いた宰相として、日本のみならず世界史的に見ても重要な総理大臣である。

◆ 概観
長門国阿武郡萩町、萩城下平安古(現・山口県萩市平安古)にて、長州藩士馬廻役・桂與一右衛門(125石)の嫡男として生まれる。母は同藩士・中谷家の娘喜代子。遠祖は戦国時代の桜尾城主・桂元澄と伝えられ、姓は安芸国高田郡桂村に由来するとされる。
幼少時に阿武郡川島村(現・萩市川島)に移る。万延元年(1860年)には、藩の西洋式操練に参加して鼓隊に編入される。元治元年(1864年)、禁門の変などにより藩が存亡の窮地に立たされるなか、7月に世子元徳の小姓役となる。戊辰戦争では奥羽各地を転戦した。
明治維新後、横浜語学学校で学びドイツへ留学。帰国後は山縣有朋の下で軍制を学んで陸軍次官、第三師団長、台湾総督を歴任した後、伊藤内閣、大隈内閣、山縣内閣で陸軍大臣をつとめた。1901年、首相に就任。以後、西園寺公望と交代で首相を務め、桂園時代と呼ばれた。在職日数2886日は歴代1位。尚、連続して在職してはいないため、連続在職の記録は佐藤栄作に譲る形となっている。
1900年9月15日には、拓殖大学の前身である台湾協会学校を創立している。また、現在の獨協大学の前身である獨逸学協会学校の校長を1887年4月から1890年7月までつとめた。

◆誕生から戊辰戦争まで

◇ ニコポン宰相