体はやや固いものの、筋骨隆々とした体格を生かした力感溢れる豪快な相撲で
4代玉垣と共に一時代を担った。優勝に相当する成績を残すこと16回と
谷風、
雷電に次ぐ成績を残した。ただ、勝率はそれほど良くなく、全勝は一回もなかった。
文政6年6月に
五条家から一方的に横綱免許を受けるが、
吉田司家に遠慮したのか、本人は
土俵入りを辞退した。よき対戦相手であった玉垣が現役死(文政7年8月5日)したことで戦意喪失したのかその後大負けして文政8年正月場所を最後に引退。
二枚鑑札で
年寄伊勢ノ海(5代)を襲名していた。