日本代表として、1927年と1930年の
極東選手権で
国際Aマッチ4試合に出場した。1927年大会の日本代表は
早大WMWを母体に構成されていたが、
水戸高校の春山と
近藤台五郎は「関係者」として国内予選時より早大WMWに参加していた。
[後藤健生『日本サッカー史 日本代表の90年』(双葉社、2007年)ISBN 978-4575299328 ]1927年大会はセンターフォワード、1930年大会は左ウイングとしてプレーし、多くのゴールをアシストした。
[東京帝国大学では竹腰重丸、竹内悌三、手島志郎らと東大黄金時代を築いた。]