早稲田大学ラグビー蹴球部 wikipedia|無料辞書
早稲田大学ラグビー蹴球部(わせだだいがくらぐびーしゅうきゅうぶ、Waseda University Rugby Football Club)は、
関東大学ラグビー対抗戦グループに所属する
早稲田大学の
ラグビー部。愛称ワセダ。略称早大(そうだい)。一大学の部でありながら、日本国内で随一の人気の高さを誇る
[2006年度における主要チームのリーグ戦における平均観客動員]
・早稲田大学……13031人
・明治大学……9644人
・慶應義塾大学……6440人
・東芝……5795人
・サントリー……4977人
・神戸製鋼……4223人
・関東学院大学……3199人
・法政大学……2934人
◆ 概要と歴史
・
1918年11月7日、創部。
慶應、
京都三高、
同志社に次ぐ日本で4番目のラグビーチームであった。創部当時の名称は「早稲田大学蹴球部」。部訓-緊張・創造・継承-
・
1927年オーストラリア遠征が行われる。当時オーストラリアでは2-3-2システムのセヴンフォワードを軸とする展開戦法が行われていた。この遠征によりフォワードのカバープレー(スクラムブレイク後のフォワード-フランカー・NO.8-のオープンプレーへの参加)を学び、その後早稲田ラグビーを語る上で、しばしば用いられる「ゆさぶり戦法」を編み出すこととなる。まさしく部の方向性に大きな影響を与えた遠征であった。1927年から1932年の間に「ゆさぶり」戦法完成。この遠征で敵の
ウォークライに対抗して「
佐渡おけさ」を踊り、敵地では好評だった。同年、慶應から初勝利。
・
柯子彰・川越藤一郎等バックスに名プレーヤーを配し、早稲田バックス理論の集大成とも言うべき川越理論により黄金期を迎える。この頃世界に先駆けシャローディフェンス完成。この戦前の川越理論は戦後の大西理論と比肩すべき傑出したもので、事実大西自身に多大な影響を与えた。後年
大西鐡之祐は昭和10年前後の早稲田のラグビーを部史上最もレベルの高かった時期と述べている。
・ラグビーが敵性スポーツと見なされたことから弾圧を受けたが地下壕にボールや用具を隠し、戦後の復興に備えた。1950年、大西監督は野上・川越・柯子彰の協力の下、エイトとゆさぶりの研究に着手-この年をもってエイトFWにおける早稲田式シャローデイフェンスがほぼ確立される。同年3・3・2フォワードとホイール作戦により2連覇達成。戦後1950年代に黄金時代を築き、この頃から「荒ぶる」が歌われる。50年代末から60年代に入り低迷。大西鐡之祐監督が復帰し低迷にピリオドを打つ。有名なサインプレー「カンペイ」はこの第二期大西監督時代の1962年に生まれた。
・
1969年〜
1977年には、関東大学対抗戦で60連勝(2分を含む)・対社会人を含めた公式戦36連勝を達成。同時期に
大学選手権13年連続決勝進出・2連覇3回、日本選手権優勝3回を記録、史上最大の黄金期を迎えた。
・強力フォワードを擁した「縦の
明治」に対して、軽量フォワード・バックス中心の展開ラグビーは「横の早稲田」と言われた。自陣ゴール前で見せる厳しく粘り強いディフェンスは「ゴール前3m の奇跡」と言われる早稲田のお家芸である。必殺のタックルで相手プレイヤーを倒し、一気に攻守を逆転する様は「アタックル」(アタックとタックルの掛け合わせの造語)と呼ばれ、これも早稲田のお家芸とされる。
・1981年
早明戦の連敗を阻止すべく大西監督3度目の登場。ローバーシステム採用・ダブルライン導入。(なおダブルラインの理論そのものはすでに昭和47年の著書「ラグビー」で紹介されている。)絶対不利と目された早明戦に勝利。国立競技場入場者数の新記録を樹立。対抗戦優勝時に「荒ぶる」を歌う。
・1995年低迷中のチーム再建を果たすべく木本監督就任。OB会の要請もあり、当初長期的にチームの指導に携わる予定であったが、癌により急逝。早明対抗戦にける劇的な逆転勝利は強烈なインパクトを与えた。ダブルライン、戦略的なドライビングモールの活用(ペネトレーティングモール)、パント攻撃に見られるキックとゆさぶりの調和、ライン全体でのディフェンスラインの突破などまさしく、早稲田らしい「ゆさぶり」攻撃の復活と言えよう。大西、木本、2人の大きな支柱を失ったことで、以降チームは試行錯誤を重ね、清宮監督の登場によりFW重視へと決定的な転換期を迎える。早稲田ラグビー史におけるまさしく-最後の「ゆさぶり」-であった。
・2002年、東伏見から上井草へグラウンド移転。
2002年度には13年ぶりの大学選手権制覇を果たした。この頃から早稲田のフォワード平均体重は100kgを超え、インターナショナルレベルに到達する。(参考:2007年W杯フランスのFW平均体重は104kg,早稲田のFW平均体重は103kg,またV7を達成した神戸製鋼のFW平均体重は95kgである。)同時に国際級の重量FWを軸にトライを量産。-「横の早稲田」から「縦の早稲田」へ,「バックス」の早稲田から「フォワード」の早稲田へ-歴史的な転換期を迎える。なおこの時期、連勝街道を驀進しながらも視聴率・観客動員数は減少の一途をたどった。
・2006年日本選手権準決勝にて東芝府中相手に0-43の完封負け。日本選手権において早稲田が完封負けを喫したのは史上初。
・2007年度対抗戦まで、対抗戦7連覇を達成。24年連続41回目の出場となった第44回大学選手権では39年ぶりに決勝で慶應と対戦。26-6で、2年ぶり14回目の優勝を果たした。
・2008年度対抗戦で
帝京大学に敗れ、2000年早明戦以来の連勝記録が53で止まった。さらに早明戦でも敗れ8年ぶりにシーズン2敗を記録。対抗戦優勝を帝京に譲った。しかし大学選手権では決勝で帝京を破り雪辱、5回目の連覇となる15回目の優勝を遂げた。
◆ タイトル
: 1932、1933、1936、1937、1941、1942後期、1948、1950、1952、1953、1958、1965、1967、1968、1970、1971、1972、1973、1974、1975、1976、1981、1982、1987、1990、2001、2002、2003、2004、2005、2006、2007
・
全国大学ラグビーフットボール選手権大会 - 15回 [2009年1月10日時点で決勝進出29回、13大会連続決勝戦進出、優勝15回は大会記録。なお、決勝戦での敗戦数14も大会記録である。] (出場42回)
: 1965、1966、1968、1970、1971、1973、1974、1976、1987、1989、2002、2004、2005、2007、2008
準優勝:14回(1964、1967、1969、1972、1975、1981、1986、1990、1992、1995、1996、2001、2003、2006)
: 1965、1970、1971、1987
:※年は全て年度。
◆ 慶明2校との戦績
・ 対慶應義塾大学戦 68勝20敗6分け(対抗戦 61勝19敗5分、大学選手権 7勝1敗1分け 2008年度現在)
・ 対明治大学戦 51勝42敗2分け(対抗戦 47勝35敗2分、大学選手権 4勝7敗 2008年度現在)
◆ 戦績
ここ10年間のチームの戦績は以下のとおり。