日本アマチュアボクシング連盟 wikipedia|無料辞書
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| ウェブサイト = http://www.japan-sports.or.jp/boxing/
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◆ 歴史
◇設立以前
日本アマチュアボクシング連盟の前身にあたる
全日本アマチュア拳闘連盟の発足前にも、アマチュアボクシングの大会が開催されていた。1925年5月16日と18日には、東京九段角力場で第1回全國学生拳闘選手権大会が開催された。このときの主催団体は
日本拳闘倶楽部と
学生拳闘連盟だった。しかし、この頃の学生拳闘連盟はしっかりと規定された組織ではなかった。同年11月14日と15日には、さらに第2回大会が行われた。この2回の大会が、整ったアマチュア組織設立の誘引となった
[国民新聞社運動部石川輝編「日本拳闘沿革史 学生拳闘の萌芽」『拳闘レコード』啓成社、1936年10月13日発行、10-11頁。]。翌年に入ると、学生選手の間で組織確立の動きが活発化するようになり、
慶應義塾大学の石川や
明治大学の臼田や泉など中心に本格的な新連盟設立の準備が始まった
[国民新聞社運動部石川輝編「日本拳闘沿革史 学連・アマ連の発会」『拳闘レコード』啓成社、1936年10月13日発行、11-12頁。]。
◇設立後
1926年11月27日と28日に、東京の九段で第1回全日本アマチュア拳闘選手権大会を開催した
[国民新聞社運動部石川輝編「日本拳闘沿革史 第一回アマチュア大会」『拳闘レコード』啓成社、1936年10月13日発行、13頁。]。翌1927年5月には
大日本体育協会に加盟し、この体育協会の理事には渡邊勇次郎、加藤隆世の2人が就任した
[国民新聞社運動部石川輝編「日本拳闘沿革史 第一回慶明対抗戦」『拳闘レコード』啓成社、1936年10月13日発行、14-15頁。]。さらに、6月25日には、青山会館にて慶應義塾大学と明治大学の間で「第一回慶明対抗戦」が開催された
。同年秋には、第4回明治神宮体育大会にボクシング競技が追加され、アマチュア連盟、学生連盟、大日拳の3団体が参加した
[国民新聞社運動部石川輝編「日本拳闘沿革史 明治神宮競技に参加」『拳闘レコード』啓成社、1936年10月13日発行、15頁。]。
◇オリンピックへの選手派遣
1928年1月に、
オリンピック出場を果たす為に、宮澤孝、小丸辰巳、石川輝の3人がアマチュア連盟の規約が全面的に変更した。さらに、組織の不備を埋める為、まず全國学生拳闘連盟を関東学生拳闘連盟に解消し、関西で関西学生拳闘連盟を発会、加えて、それら2つの組織から全日本学生拳闘連盟を新たに発足した。そして学生選手権も、関東、関西両方で選手権を行い、その優勝者同士で対抗戦を行って学生王者を決定する方式を採用した。同年6月17日に、九段にて第一回東西対抗全日本学生選手権大会が行われた。1928年7月28日から8月12日にかけて行われた、
オランダのアムステルダムで開催された
アムステルダムオリンピックに、渡邊勇次郎の尽力もあって
岡本不二と
臼田金太郎の2人が派遣された。しかし、アマチュア側からは、臼田と渡邊はプロボクシングに関わっているという理由から拒否反応があった。結果的には、ボクシングを盛り上げようとする勢力が勝ち、臼田と渡邊がオリンピックに携わることが可能になった。
[国民新聞社運動部石川輝編「日本拳闘沿革史」『拳闘レコード』啓成社、1936年10月13日発行、15-18頁。]。
◇女子大会の開催
2002年6月に、女子ボクシングの初の大会「第1回東京都大会」を開催。翌2003年には、3月15日から16日の2日間にかけて、東京の
日野市にある日野自動車健保プラザで「第1回全日本女子アマチュアボクシング大会」を開催した。実践競技だけでなく、男子にはない「演技競技」も行われた
[「初の全国大会開催 第1回全国女子アマチュア大会」『ワールド・ボクシング』日本スポーツ出版社 第22巻第5号 通巻253号、2003年5月15日発行、91頁。]。
◇小中学生大会の開催
これまで、JABFでは競技者を高校生以上に限定してきたが、指導者達からの要望もあり、小学校5年生以上を対象とした競技会を開催する方向となった。
◆ 主要な大会
◆ 階級
AIBAが定める階級に準ずる。ただし、ミドル級より上の階級は定めていない。