1990年3月場所に
幕下付出で
初土俵を踏んだ。
幕下を4場所で通過し同年11月場所には
十両に昇進した。十両に昇進しても勢いは留まることを知らず、11勝4敗で十両優勝を果たした。翌場所から幕内定員が2名増員されるなど
番付運にも恵まれ、翌
1991年1月場所には新入幕を果たした。しかし1場所で十両に陥落すると首の怪我に悩まされる様になり、
1992年1月場所には幕下に陥落。
四股名を輝ノ海に改め何度か十両に復帰したが、本来の相撲が全く取れなくなり、自身と同じく学生相撲から鳴り物入りで武蔵川部屋に入門した
尾曽(後の大関・武双山)と入れ替わるかのように
1993年5月場所を最後に現役を引退した。引退後は会社員に転身したが、2009年6月6日16時、和歌山県の自宅で脳出血にて急逝した
。