大潮憲司 wikipedia|無料辞書
現在は
年寄・
式守秀五郎(通称・式秀)を名乗り、式秀部屋を興して後進を指導している。
◆ 来歴
立合いから激しく当たるか突いて出て、左を差して一気に寄る取り口を得意としたが、腰高のため逆転されることも多かった。入幕後しばらくは
幕内と十両の往復を繰り返したが、
若ノ國の記録を更新する10回目の入幕となった
1976年3月場所からはようやく幕内に定着し、1978年1月場所では最高位となる東小結に昇進した。足の負傷のため
1979年7月場所では
幕下まで落ちたが節制と努力を重ね、さらに家に帰ると奥さんが幕内時代よりもいい料理を出してくれることに奮起し、幕内に返り咲いた。三役に復帰はできなかったものの、1982年7月場所からの連続5場所では
横綱・
北の湖、
大関・
隆の里、
関脇・
若島津のいずれかに勝ち、健闘を見せた。
1984年5月場所を最後に幕内から落ちてからも、十両や幕下上位で相撲を取り続けた。
1988年1月場所限り、満40歳で現役を引退。通算出場1891回は全大相撲力士中の第1位、十両在位55場所は歴代1位タイ(他に
蜂矢)、幕内昇進13回も歴代1位の記録である。通算勝星の964勝は、
千代の富士の1045勝に次いで第2位。通算黒星の927敗もまた、
寺尾に次ぐ第2位である。現役在位156場所は、引退当時から2008年に
栃天晃(元十両)によって更新されるまで、20年もの間歴代1位であった。再十両の最年長記録(39歳5ヶ月)も持っている。古武士を思わせる風貌で人気があり、トレードマークである立ち合いの後の睨みに風格があった。
引退後は年寄・
錣山を経て式守秀五郎を襲名し、
1992年3月に時津風部屋から独立して
式秀部屋を創設した。毎年11月(九州)場所では地元・北九州市に宿舎を構えているが、地元後援者により近年常設の宿舎が設けられ、普段は地域貢献の場となった。また、場所前後は北九州市内を中心に弟子を引き連れて、福祉施設の慰問なども行っている。現在は長男も入門し、「玉光」の
四股名で活躍中。
2008年9月場所現在、最高位は
三段目95枚目。
◆ 主な成績・記録
・ 幕内在位:51場所(うち小結1場所)
・ 幕内成績:335勝413敗17休 勝率.448
・ 現役在位:156場所(引退当時から2008年、
栃天晃に更新されるまでは大相撲史上1位であった)
・ 通算成績:964勝927敗47休 勝率.510
◆ 幕内での場所別成績
・幕内通算勝利・敗戦・勝率はその場所時点での数字