・国道155号線沿いの歩道は比較的狭く夏になると雑草が生い茂り、往来の阻害となっている。そのため朝は学生が運転する自転車が登下校中の小学生をよけるために車道を通り、自動車と接触しそうになることもしばしば見受けられる。加えて、豊田自動織機の工場があり大型車両の交通も多い。
・現在の
豊田自動織機長草工場には、かつて三菱航空機知多工場があり、陸軍の
四式重爆撃機「飛龍」を生産していた。その工場の北西には出荷用の飛行場(大府飛行場、ただしその名に反して大部分が
東海市域に属する)が建設され、
国鉄大府駅との間には
専用鉄道(三菱専用引き込み線)が敷設されていた。三菱は当時の大府町(大府市)と隣接の上野町(東海市)にまたがる丘陵地帯に、およそ570万坪(約19平方キロ)の土地を取得した。
知多丘陵地の山を削り、谷を埋める30か月にわたる大工事の末、
1944年4月に長さ1,300mの滑走路に総組立工場と整備工場が付属した三菱航空機知多工場が完成した。さらに、1944年12月より、上野町大字富木島に航空本部の飛行場拡張工事が実施され、近隣集落から多くの勤労奉仕に出た。戦後、この飛行場の一部は農業開拓者の農場に転換されたが、残り6万坪は
三菱重工業(株)の所有のまま放置されていた。
1952年2月、豊田自動織機製作所は大府町のあっせんにより、この地を同社から買い受けた。