新潟県生まれ。
栃木県で少女時代を過ごす。父雄一は
下都賀郡長をつとめた人物であるが、頑固な男尊女卑的考え方をもっており、信子は内心反発を感じていた。
真岡から
栃木市に移住、栃木高等女学校(現
栃木県立栃木女子高等学校)に入学した際、
新渡戸稲造の「良妻賢母となるよりも、まず一人のよい人間とならなければ困る。教育とはまずよき人間になるために学ぶことです。」という演説に感銘を受け、そのころから少女雑誌に短歌や物語の投稿をはじめる。日光小学校の代用教員になるが文学への道を捨てがたく、卒業後上京、作家を志し、
1916年(
大正5年)から『少女画報』誌に連載した『
花物語』で人気作家となる。その後、『
大阪朝日新聞』の懸賞小説に当選した『地の果まで』で小説家としてデビュー。
徳田秋声らの知遇を得る。