原井和也 wikipedia|無料辞書
|生年月日 =
|没年月日 =
|身長 = 173
|体重 = 70
|利き腕 = 右
|打席 = 右
|守備位置 = 内野手
|プロ入り年度 =
|ドラフト順位 = ドラフト5位
|初出場 = 1996年9月6日
|最終出場 =
|経歴 =
|選出国 =
|選出年 =
|得票率 =
|選出方法 =
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◆来歴・人物
◆エピソード
・箕島高校時代は、1年生の秋から1番遊撃手として活躍。3年生時は遊撃手と兼任で救援投手も務めていた。その3年時は夏の
和歌山県予選決勝の対
桐蔭高戦でリリーフに失敗して甲子園出場を逃す。
・西武時代、背番号30を背負っていた時に、
東尾修監督に「背番号30は3タコ(3打数0安打)を連想するので変えてください」と直訴したところ、
「おまえが3打席も立つことはないから安心しろ」と返されたという。
・とはいえ、原井が東尾の箕島高校の後輩だということもあり、左投手先発時の二塁手としてたびたびスタメンに起用され、97年はそれなりの成績を残した。それ以降は非力なバッティングが目立つようになったが、それでも東尾に起用され続けたため、ファンの中には「原井は東尾に贔屓されている」という印象を持つものも多かった。事実、東尾の当時のホームページでは、「監督はなぜ原井選手ばかり起用するのですか、えこひいきはやめてください」という意見が「ファンからの代表的な質問」として掲載されるほどだった。
・ちなみにそれに対して東尾は「
どうせ誰を起用しても打てないのだから、せめて守備がいい原井を起用しているだけ」と答えている。しかし当時二塁手は
高木浩之、
黒田哲史、
玉野宏昌とそれなりにおり、高木浩や黒田は守備もいい選手で、わざわざ積極的に原井だけを起用する必要はなかったことから、東尾のなかに原井を起用するのに何の贔屓目もなかったかと言えば疑問が残る。ただ、高木浩は左打者であるので左投手時は使いづらかったとも思われる。
・上記のような事情もあったうえ、非力なバッティングでチャンスでの二ゴロ併殺が多く、目尻の下がった穏やかな顔立ちも相俟って、たびたびファンに「情けない」と叩かれた。
・その反面、ロッテ移籍後は、手薄な内野陣で貴重な守備固め、ときにスタメンとして大事な場面できっちりと仕事を果たした。ロッテでは精神面でもキャプテンシーを発揮、ぬるま湯体質に浸かりきった選手たちに積極的に「西武の強さの秘密」を伝え、内野陣の精神的支柱として大きな存在となった。またプレーでも
2004年5月3日の
オリックス戦で
谷佳知のイレギュラーしたショートゴロを顎で受け止め骨折するが、翌日の練習には参加し背中でも後輩たちを引っ張った。しかし、バレンタイン監督は「顎を骨折した選手を使うわけにもいかない」とコメントし登録抹消されている。
・
2005年10月4日、彼が叱咤激励した後輩たちの31年ぶりの劇的な優勝を見ることなく(そして、
初芝清のような派手な引退セレモニーもなく)、戦力外通告を受けひっそりと現役引退した。
・
2007年から古巣・西武の1軍守備走塁コーチ補佐に就任するがこの年限り。
◆背番号
・30(1996年 - 1999年)
・6(2000年 - 2002年)
・53(2003年 - 2005年)
・87(2007年)
◆ 通算成績
| 年度 |
チーム |
試合 |
打席 |
打数 |
得点 |
安打 |
二塁打 |
三塁打 |
本塁打 |
塁打 |
打点 |
盗塁 |
犠打 |
犠飛 |
四球 |
死球 |
三振 |
併殺打 |
打率 |
失策 |