幕下上位で苦労した時期もあったが、
1997年1月場所では
十両に昇進した。1999年1月場所新入幕。その場所からなんと3場所連続で
三賞を受賞し(これは大相撲史上初めての快挙)、周囲を驚かせた。そして、1999年7月場所で早々と
三役(小結)昇進を決めた(同場所は負け越しに終わり、三役経験は結局この1場所のみであった)。この頃は、
雅山とライバル関係にあった。
しかし、
2002年1月場所で左足の踵骨を骨折し、その影響からその後幕下にまで陥落した。一時は復調し
2004年3月場所で再入幕を果たしたが幕内ではあまり活躍できず、今度は内臓疾患により十両下位に低迷し、2005年11月場所を最後に再び幕下に落ちた。以降は
関取復帰を目指して土俵に上がり続けたが、幕下下位で勝ち越すのがやっとの状態が続き、
2007年5月場所では
三段目にまで陥落してしまった。三役経験者がこの地位まで下がるのは同部屋の先輩でもある
巴富士(元小結)以来、
出羽ヶ嶽・
大豊・
栃赤城に次いで
昭和以降5人目(
平成以降では3人目)。7月場所では西三段目16枚目で5勝2敗と勝ち越し、9月場所、幕下復帰を果たした。しかし1勝6敗と大負けしたため、翌11月場所は西三段目27枚目まで番付を落としてしまった。そして
2008年1月場所、初日の相撲を最後に31歳で引退した。年寄株未取得とはいえ妻帯者がこれだけの長期間陥落後も現役を続けたのは極めて異例である。
年寄名跡を取得していないため、引退後は角界から離れ、本人のブログによると
錦糸町の飲食店で見習いをしていたが、2009年6月に
和歌山県白浜町に自身の店をオープンしている。