帯広市立大空中学校ではサッカー部に所属しゴールキーパーを務めた。卒業後
北海道帯広柏葉高等学校(定時制)に入学するも1ヶ月で中退し伊勢ノ海部屋に入門した。
1981年5月場所に
初土俵を踏んだ。同期生には元
関脇若翔洋で現在は格闘家の
WAKASHOYOがいる。
幕下時代から有望力士として期待され、
1987年1月場所で
十両に昇進。
昭和40年代生まれ初の
関取となる。
1989年1月場所で新入幕を果たす。バランスの取れた体格から将来の大器と嘱望されたが、稽古不足もあってか幕内と十両を往復する生活が続いた。
1991年9月場所、6度目の入幕でようやく幕内に定着する。左上手を浅く取っての型は良かったが少し勝ち味が遅く、素質は充分あったが
三役昇進は果たせなかった。結局、幕内での二桁勝利は一度もなく、
三賞も受賞できずに、
1998年5月場所を最後に十両に陥落。十両の土俵でも健闘していたが、
2000年9月場所前に現役を引退。年寄・勝ノ浦を襲名し、伊勢ノ海部屋付きの親方として後進の指導に当たっている。尚、北勝鬨の引退で100年以上続いた
道産子関取が途絶えてしまった。