2002年
4月7日、
プロレスリング・ノアで15年ぶりに
三沢光晴とシングル戦を行い、正統派のプロレスでも改めて高い技術を見せて冬木健在を誇示する。だが、その2日後、冬木軍主催興行の試合後に
大腸癌[のちに直腸ガンと判明する。]を理由に、突然の引退表明を行う。その一報と病状を聞いた三沢は、WEWがまだ立ち上がっていない冬木のために、
ディファ有明のたまたま開いていた
4月14日をすぐさま確保、冬木の引退興行を開催することを発表し、ノアの全面協力を受けて、冬木はリングで引退試合を行った。
なお、この冬木の「ガンによる引退」という発表については、それまでの冬木が演じてきた理不尽ギミックもあって、当初は「
アングルではないか?」という疑問視をする者が少なからず存在していた。だが、その直後に、安易な『引退』などのアングルを極端に嫌うことで、プロレスの世界では有名である三沢光晴が、冬木のための引退興行を急遽組んだのを見て、冬木の病状の深刻さを察して衝撃を受けた者は多い。この引退試合のためにノアはファンに向けて黄色の紙テープを持参するように協力を依頼し、10カウントゴングの後、冬木に向けて無数の紙テープが飛んだ。この時の収益金は全て冬木に送られたそうで、三沢との絆の強さが窺えるエピソードといえる。また、引退興行にはノアの内外から多くのレスラーが協力しており、さらに会場には、
新日本の
永田裕志、FMWで袂を別っていた邪道&外道、さらには天龍までもが現れるなど、冬木の人柄が伺われる引退興行ともなった。