モンゴルで開催された花籠部屋の選考会に合格し、
2000年の11月場所に初土俵を踏む。
2006年11月場所に東幕下3枚目で4勝3敗の成績をあげ、翌
2007年1月場所に
十両に昇進した。これにより、花籠親方(元
関脇・
太寿山)が花籠部屋を再興してから初の関取誕生となった。その後2007年1、3月場所と勝ち越すが、5月場所は全勝であった
把瑠斗に唯一土をつけるなど健闘したが、終盤失速し十両で初めて負け越した。翌7月場所は十両12枚目で迎えた。しかし序盤4連敗するなど先場所からの連敗が続き、幕下陥落も考えられるような成績であったが、中盤から終盤にかけて挽回し結局9勝6敗と好成績を残し、翌9月場所では自己最高位に昇進した。しかし、7勝8敗と負け越した。
11月場所に関しては10勝5敗の好成績を上げ、東十両8枚目でありながら、引退した
時津海の空白の番付や、幕内と十両の入れ替えの人数の考慮により、次の初場所では運が良ければ新入幕という可能性もあったものの、結果は筆頭止まりで惜しくも入幕は叶わなかった。この次の2008年1月場所では、千秋楽で敗れて負け越し、惜しくも入幕を逃したが、5月場所では十両西7枚目で12勝3敗の好成績をあげ、7月場所で新入幕を果たしたが幕内の壁は厚く、3勝12敗と大敗した。