喧嘩に強くなりたいとボクシングを始め、1928年にアマの全日本フライチャンピオンとなる。翌年プロに転向、
柏村五郎(3勝1敗3引分け)、
除廷権(3敗3引分け)ら強豪と対戦した。技巧派のボクサー・タイプで、1934年、
花田陽一郎との全日本フライ級決勝戦に臨んだが、その技巧も“今牛若丸”花田の変幻自在の技には及ばず、判定負け。1936年にも同タイトルを花田と争ったがこれも判定負け。終生プロのタイトルには縁がなかった。引退後は審判員になったり、千葉県船橋市でジム経営に携わったが、1971年3月1日、不慮の転落死を遂げた。