戦中戦後の興行日数の少ない時期であったために、評判にはあまりならなかったが、それでも新入幕の場所には8勝2敗と大勝ちし、1945年11月場所には、大関
佐賀ノ花を
切り返して破る殊勲の星をあげたりもした。その後しばらく、幕内の上位から中位を行ったり来たりしていたが、
1949年5月場所、東前頭6枚目で11勝4敗と好成績を挙げ、
技能賞を獲得。翌10月場所で小結に昇進したが、新小結の場所で1勝14敗と大きく負け越してしまった。翌
1950年1月場所も、
山口からの不戦勝だけの1勝14敗に終わり、つづく、5月場所と9月場所を内臓疾患のため連続全休したのを最後に現役を
引退した。