陸前国遠田郡中津山村(現在の
宮城県登米市米山町中津山)出身。
元文年間頃に
初土俵。家老衆の家来になって江戸見物に出たのはいいが体が重く歩くのがヘタだったため、二足用意した
草鞋をすぐ踏みつぶしては徹夜で編み直すはめになり、馬に乗せれば足が地に着いてしまうありさま。やっとの思いで江戸には着いたがこれでは故郷に帰るのもおぼつかない、というのが入門のいきさつだったといわれる。1749年(寛延2年)の長崎巡業の際に現役のまま没した。死因となった病気は恐らく
赤痢と言われている。享年37。