広島県広島市生まれ。兄弟4人がすべて
黒帯という柔道一家に生まれ、12歳から柔道を始める。
広陵高等学校時代には「広島の姿三四郎」の異名をとった。二段モーションからの素早い左
小外刈を中心に、
背負投、
足技と特に
寝技の巧みなオールラウンドで堅実な柔道で知られた。しかし進んだ
明治大学は当時、
村井正芳、
鳥海又五郎、
坂口征二、
関勝治らを揃えた黄金時代だったため、団体戦ではレギュラーに入れなかった。
柔道が初めて正式種目となった
1964年の
東京オリンピックの軽量級(68kg以下)の選考過程においても闘志を内に秘めるタイプで、責任重大な初戦、更に外国人相手では不利と見られていたが、オリンピック
選手村に入る数日前、ギリギリでの発表でオリンピック代表の座を射止めた。
1964年、
10月21日、全勝の使命を背負って臨んだニッポン柔道の先陣を切り、オール
一本勝ちの完全勝利。試合時間合計、わずか9分間で柔道競技史上最初のオリンピック金メダルを獲得。新装直後だった
日本武道館のセンターポールに、柔道最初の
日の丸を揚げた。しかし代表になれれば金メダルは確実と言われた時代であり、当時の柔道界は「無差別こそ柔道」という雰囲気が強く、その無差別級で
神永昭夫が
アントン・ヘーシンク(
オランダ)に敗れたため、あまり祝福されることはなかった。この悔しさをバネに、その後、柔道界の最高峰、体重無差別の
全日本柔道選手権に三度出場を果たし、柔道家としての意地を見せた。