与田剛 wikipedia|無料辞書
|生年月日 =
|没年月日 =
|身長 = 182
|体重 = 84
|利き腕 = 右
|打席 = 右
|プロ入り年度 =
|ドラフト順位 = ドラフト1位
|初出場 = 1990年4月7日
|最終出場 = 1999年10月2日
|年俸 =
|経歴 =
|経歴補足題 = コーチ歴
|経歴補足 =
|選出国 =
|選出年 =
|得票率 =
|選出方法 =
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◆ 来歴・人物
亜細亜大学時代は故障が多く、登板機会のほとんど無い補欠であった。しかし、
NTT東京時代に最速157km/hの剛速球が注目され、全日本代表メンバーに抜擢。
リリーバーを続けるうちに肩・肘への負担が選手寿命を縮めるパターンに与田も陥り、全盛期末期は蓄積疲労を自身で感じながらも、痛み止めの注射を打ちつつ投球していたという。4年目以降は右肘痛のため思うような成績を残せず
1996年シーズン途中で
内藤尚行との
交換トレードで
千葉ロッテマリーンズに移籍。
現在は、解説者としての仕事の傍ら、千葉県社会人野球チーム「サウザンリーフ市原」の投手コーチを務めている。野球解説には定評がある。また、全日本女子野球チームの投手コーチ、2009年第2回ワールド・ベースボール・クラシック日本代表の投手コーチにも就任している。2009年4月からはNHK「サンデースポーツ」のキャスターを務める。
◆ エピソード
・初登板は入団1年目、
1990年の開幕戦・対
横浜大洋ホエールズ戦である。同点で迎えた延長戦でのリリーフ登板であったが、ホームでのクロスプレーに対する際どいセーフの判定を不服とし、球審にくってかかった。
・
死球を与えてもなかなか頭を下げることは無く、
1994年6月22日の横浜戦の時に
グレン・ブラッグスに体を背ける内角球を投げた際にも、やはり与田は謝らなかったために、ブラッグスはマウンドまで駆け寄り、与田にパンチを浴びせ両軍入り乱れての大乱闘となった。その場で退場になった与田(ブラッグスも退場)はベンチに戻る際、グローブをベンチシートに思い切り叩きつけた。珍プレー番組でもこのシーンは頻繁に放映されている。
・
1991年の中日ドラゴンズの応援アルバム『燃えよドラゴンズ!!'91大竜界』収録の『好きよ、ストレート!だから今夜もここに来た』は、名前こそ出ていないものの与田の応援歌である(ただし、「〜のようだ」を与田とかけている)。当時、若手で活躍していた与田を応援する女性ファンの心理で歌われている。後に『蔵出・
山本正之作品大全集』にも収録されたが、個人の応援歌という事もあってか、中日の応援歌等を集めた『昇竜魂〜ドラゴンズ70thメモリアルソングス〜』には収録されていない。
・引退して解説者の仕事を引き受けた後、元アナウンサーの夫人から話し方や表情の作り方を丁寧に教わったという。
◆ 年度別投手成績