不戦条約は、期限が明記されていないため、今日においても
国際法として有効であるとされる。もっとも、加盟国の多くが
自衛権を留保しており、また違反に対する制裁もないためその実効性は乏しい。
当時、日本は
田中義一内閣で、
山東出兵や
張作霖爆殺事件などの中国での武力行使に諸外国の批判が高まっていたことから、全権として元
外務大臣内田康哉を参加させて調印した。しかし、調印にあたって日本国内では、その第1条が「人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言」するとされていることから、
枢密院や
右翼から
大日本帝国憲法の天皇大権に違反するとする批判を生じ、
新聞でも賛否両論が起こった。そのため
外務省はアメリカに修正を申し入れたが、修正には応じられず、
人民のために宣言すると解釈するとする回答を得たに止まったので、
日本政府は、
1929年(昭和4年)
6月27日、「帝国政府宣言書」で、該当字句は日本には適用しないことを宣言した。実際に批准されたのは田中内閣総辞職後の同年
7月24日であった。その後、日本の起こした
満州事変についても日本側は自衛のための措置としたが、諸外国を納得させることは出来ず、
国際連盟で非難決議があり、日本の
国際連盟脱退に至った。