太平洋戦争開戦後、
1943年1月から翌
1944年1月まで、コードネーム「若杉参謀大尉」(姓は印にちなんで作られた)として
南京の
支那派遣軍総司令部に勤務。総司令部は着任に際して部隊内に通達を出し、勤務中の待遇及び食堂での食事の際の礼遇について周知している。若杉の正体は秘匿されていたため、部内にはかなり後期まで、若杉参謀が三笠宮であることを知らない者も多かった。支那派遣軍勤務中には、
中国語のエキスパートであった通訳の木村辰男から中国語と中国事情を学んでいる。その後
大本営参謀に転出。