その名称の通り、
櫂の漕ぎ手60〜170名を上下3段に配置して高い速力を得た(
アテナイのそれの船員は漕手170人、補欠漕手・水夫・戦闘員30人の200人、攻撃時の最高速力およそ10
ノット)。帆を備え、風力でも移動できるが地中海では風はあてに出来なかった。この種の軍船は船底最前部に青銅で補強した
衝角という突起物を備え、敵船に衝突して船腹に穴を穿って浸水させ、行動不能とすることを目的とした。アテナイでは漕手は自ら武具を調達できない無産階級の市民(
テテス)で構成されていたが、その数は2万程度だったので、のちにはテテスだけでは足りず
メトイコイつまり在留外人が大半を占めるようになった。
トゥキディデスの『戦史』によると、ペロポネソス戦争中にスパルタ側についたケルキューラ (現在の
コルフ) は貿易によって富裕を誇っており、軍船の漕手はほとんど奴隷でまかなっていたとされる。
艦隊の戦法としては、敵艦隊を左右から包囲して混乱させつつ周囲から衝角攻撃を加えるペリプルスや、敵艦の隊列の間を突っ切り、櫂の列を破壊して機動力を奪って(船間突破)から衝角攻撃を行うディエクブルスなどがあった。