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「ラグビー日本代表」||スポーツ-master.com 【05/27update】

ラグビー日本代表 wikipedia|無料辞書

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原語表記=|
愛称=ジャパン|
カラー=赤×白|
創設=1930|
ヘッドコーチ=ジョン・カーワン|
HP=|
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日本代表対Australia A代表、2008年6月8日、福岡Level-5にて
日本代表対トンガ代表、北九州市立本城陸上競技場 2006年6月4日 (22年ぶりの九州の地でのテスト・マッチ開催)
Japanese and Welsh rugby fans in Cardiff
ラグビー日本代表( - にほんだいひょう)は、ラグビー日本代表チーム。国内では身にまとうユニフォームが桜のジャージと呼ばれる。通称、ジャパン。現在、監督は置かず、ヘッドコーチとしてジョン・カーワンが率いている。

◆概要
古くからラグビーファンの間では「ジャパン」と呼ばれる(時の監督の苗字をかぶせて、「大西ジャパン」「宿沢ジャパン」「JKジャパン」などと呼ばれる。この用法は、現在では他の競技にも波及しているが、単独で「ジャパン」と呼んで、そのまま日本代表を指すのはラグビーだけである。
ファーストジャージーのデザインは赤に白の横線。胸の桜のエンブレムから、海外ではチェリーブロッサムズブレイブブロッサムズあるいは単にブロッサムズと称される。また、国内ではそのユニフォームが桜のジャージと呼ばれる(ジャパンが初めて結成された時のエンブレムは桜がまだ蕾だった)。
初めて日本代表が結成されたのは1930年のカナダ遠征。ブリティッシュ・コロンビア州代表などと対戦し6勝1分の好成績を残す。
初のテストマッチは1932年カナダ代表とのテストマッチ。カナダ代表が日本へ遠征し、日本・カナダお互いにこれが初テストマッチだった。ジャパンの2戦2勝。
ラグビーには長年世界一を決める大会が無く、国際試合等も少なかった。長らくは海外遠征やラグビー強豪国を招いてのテストマッチでラグビー強豪国(IRB正加盟国8カ国)を破ることが悲願であったが、高い壁に阻まれてきた。1987年ラグビー・ワールドカップの創設に伴い、ようやく真剣勝負の世界大会が創設されることとなり、日本は第1回大会から出場が続いている。
そのような中、歴史的勝利として沸いたのが1989年5月28日に秩父宮ラグビー場行われたスコットランド代表との一戦であった。当時就任したばかりの宿澤広朗監督率いるジャパンは、強豪スコットランド代表を28-24のスコアで破る金星を挙げた。当時のスポーツ紙はこの金星を一面で大々的に報道している。当時の代表チームには平尾誠二吉田義人等を擁しており、これらメンバーが第2回大会ワールドカップへ出場し、ワールドカップ初勝利に貢献している。しかし、それ以後はアジア地区では不動の強豪国である地位を築く一方で、世界の高い壁には跳ね返され続けており、ワールドカップでの勝利は、それ以後未だにない。1995年南アフリカで行われた第3回大会では、ニュージーランド相手に145失点という屈辱的大敗を喫し、その後も善戦はするが勝利に手が届かず、また、強化のための遠征でも大敗が続いたが、ジョン・カーワンが指揮を執った2007年フランス大会、プールマッチ最終戦のカナダ戦で、ロスタイムに12-12の引き分けに持ち込み、黒星続きの歴史に終止符を打った。
2006年からIRBパシフィック・ネイションズ・カップに参加している。2006年には一つも勝ち星を挙げられなかったものの、2007年にはアウェイでトンガに勝利、2008年仙台スタジアムでトンガに快勝した。国立競技場でのフィジー戦、アピアでのサモア戦はともに接戦だったが、勝利はならなかった。同じ2008年の11月には、アメリカ代表を招いて、瑞穂ラグビー場秩父宮ラグビー場で試合を行った。国内シーズン途中でもあり、ベテラン選手の辞退もあって、若手中心メンバーで臨んだジャパンだが、2試合とも勝利した。

◆歴代日本代表監督