ヤリ・クリ wikipedia|無料辞書
1980年代 NHL のいわゆる「
エドモントン・オイラーズ王朝」を支えた一員として、決して派手ではないが、やわらかいパック捌きで攻守に堅実さを見せ、ヨーロッパ出身アイスホッケー選手のよき目標となるプレーヤーとの評価がある。
◆ 来歴
ヤリ・クリは幼い頃からヘルシンキの Jokerit Helsinki ホッケークラブに所属し、将来のエリート・リーグやオリンピックのナショナルチームでの活躍を夢見ていた。長じてエリート・リーグ Jokerit のシニアクラブに転じ、幼い頃の夢の一つをかなえた。
1978年にはヨーロッパのジュニア選手権大会、旧ソビエト連邦との決勝戦においてフィンランドの
金メダル獲得を決めた決勝ゴールを放った。
ヤリ・クリは
1980年のNHLドラフトにおいて、
エドモントン・オイラーズに第3位、全体では第69位で指名される。あまり、英語が達者ではなく、北米への移転には戸惑いもあったようであるが、他のフィンランド出身選手の勧めもあって、2年間だけはカナダでプレーしようとオイラーズへの加入を決意した。オイラーズでは、1980-1981シーズンから1989-1990シーズンまでプレーした。1990-1991シーズンは、イタリアのチーム、HC Milano Saima の所属し、僅か30試合で75ポイントの活躍を見せた。
彼の活躍はオイラーズ王朝時代のラインメートであるセンター、「グレート・ワン」と呼ばれたグレツキーのアシストに負うところも大きいといわれる。実際、グレツキーは、通算13シーズンをヤリ・クリとともにプレーし、その生涯ゴール数の約60%についてアシストを行ったとされる。ヤリ・クリはポジションが右ウイングであったことから、文字通りグレツキーの「右腕」などと呼ばれたこともある。このため、1988年にグレツキーが
ロサンゼルス・キングスに移籍した時、ヤリ・クリは今後凡庸な成績しか残せないのではないかと危ぶむ声もあった。しかし、その後オイラーズでの2年間で変わることなく好成績を残し、自身が卓抜した選手であったことを証明して見せた。
クリが1985年のプレイオフで上げた19ゴール(18試合)は、1976年プレイオフで
フィラデルフィア・フライヤーズの Reggie Leach が16試合で上げたゴール数と並んで、2005年時点で NHL 最多記録となっている。また、カンファランス決勝における3度のハットトリックもまた、2005年時点での NHL 最多記録である。
生涯獲得ポイント数1,398はNHL歴代17位、ヨーロッパ選手としては最高の記録であり、また、ゴール数601は歴代14位である。エドモントン・オイラーズ在籍中のポイント数1,043(754試合で達成)は、グレツキーの1,669(696試合)に次ぐチーム史上2位である(記録の順位はいずれも、
2005年時点)。
フィンランドのアイスホッケー・リーグ SM-Liiga には彼の名前にちなんでヤリ・クリ賞 (Jari Kurri trophy) が設けられ、プレイオフの最優秀選手に授与される。
◆ 受賞歴等
・
1978年 - ヨーロッパ・ジュニアホッケー選手権オールスター選抜
・1978年 - ヨーロッパ・ジュニアホッケー選手権ベストフォワード選出
・
1984年 - NHLオールスター第2チーム選抜
・1985年 - NHLオールスター第1チーム選抜
・1985年 - NHLオールスター出場
・
1986年 - NHLオールスター第2チーム選抜
・1986年 - NHLオールスター出場
・
1987年 - NHLオールスター第1チーム選抜
・
1989年 - NHLオールスター第2チーム選抜
・1989年 - NHLオールスター出場
・
1991年 - 国際アイスホッケー協会 (IIHF) 世界選手権オールスター
◆ NHLにおける成績
| シーズン |
チーム |
リーグ |
GP |
G |
A |
Pts |
PIM |
GP |
G |
A |
Pts |
PIM |
| 1980-81 |
75 |
32 |
43 |
75 |
40 |
9 |
5 |
7 |
12 |
4 |