ボビー・ハル wikipedia|無料辞書
ロバート・マーヴィン・ハル(
Robert Marvin Hull、
1939年1月3日 - )は
カナダオンタリオ州ポワーント・アン(Pointe Anne 、ベルヴィル近郊)生れのプロ・
アイスホッケー選手。史上最高の選手の一人に数えられる。ポジションは左ウイング。愛称は、
ザ・ゴールデン・ジェット (
The Golden Jet) 。
1957年から
1980年までプロ選手生活は23年である。
◆ 来歴
マイナーホッケー時代はベルヴィル、ジュニアでは
OHLのセントキャサリンズ・ブラックホークスでプレーした。
◇ NHL 時代
ボビー・ハルは
シカゴ・ブラックホークスを1960-1961シーズンのスタンレーカップ優勝(チーム3度目、約30年ぶり)に導いた。元々背番号は16番であったが、このカップ優勝後に7番に変わり、さらに後には、ホッケーにおいて栄誉あるとされる9番に変更された。
ハルの持ち味は、そのスピードと時速120 km/h にも及ぶスラップショットの正確性であった。身長こそ5フィート10インチ(約178 cm )に満たなかったが、体の作りは頑健そのもので、現役時代の体重は185ポンド(約84 kg )もあったといわれる。ホッケー史上でも、抜群の当たり強さ、速さ、技術の巧みさを持っていたと伝えられる。
1965-1966シーズンには、NHL 選手として初となる1シーズン50ゴールを達成、51ゴール目を上げた時には、7分間のスタンディング・オベーションが続いたといわれる。
◇ WHA 時代
ボビー・ハルは、
1972年に10年間で100万ドルと当時では破格の契約で新興の
WHAのウィニペグ・ジェッツ(後の
フェニックス・コヨーテズ)に入団した、ハルの移籍は同僚選手たちのために高い年俸を獲得し、安定したNHL に対しライバルリーグとしてのWHA に威信をもたらす効果があったとされる。
その後
1979年にWHA はリーグ崩壊してしまう(ウィニペグ・ジェッツを含む所属4チームはNHL に参加)が、
2003年にこのリーグが再生されたとき、ハルはそのコミッショナーとして指名される。
こうして、ハルはNHL のライバルリーグに参加したために、
1972年には、カナダを代表するNHL チームでのプレーを認められなかったが、
1974年には、USSR ナショナルチームとの対抗戦でWHA のカナダ代表チームの一員としてプレーを行った。しかしこのシリーズではWHA は5連戦のシリーズで3敗と敗北した。ハルは、
1976年のカナダカップにもカナダチームの主力として参戦し、このシリーズの勝利に貢献した。
◇ その他
1998年、ハルは、ロシアのメディアによって、ナチに賛成する発言を行ったのではないかとする論争に巻き込まれた。後にハルは、この発言は、通訳のミスによるインタビュアーの誤解であると述べている。
ハルの家族は、優れたホッケー選手を輩出したことで知られ、息子の
ブレット・ハル(愛称はザ・ゴールデン・ブレット、the Golden Brett)もNHL のスター選手であり、また、弟デニス・ハルもボビーとともにシカゴ・ブラックホークスに所属した(デニスは、ときに「ザ・シルバー・ジェット」との愛称で呼ばれたこともある。)。
◆ NHLにおける受賞歴
・ アート・ロス記念賞(得点王)- 1960年、1962年、1966年
・ NHL オールスター第1チーム選出10回 - 1960年、1962年、1964年、1965年、1966年、1967年、1968年、1969年、1970年、1972年
・ NHL オールスター第2チーム選出2回 - 1963年、1971年
・ レディ・ビング記念賞 - 1965年
・ レスター・パトリック賞 - 1969年
◆ 生涯成績
| シーズン |
チーム |
リーグ |
GP |
G |
A |
Pts |
PIM |
GP |
G |
A |
Pts |
PIM |
| 1957-1958 |
70 |
13 |
34 |
47 |
62 |
- |
- |
- |
- |
- |
| 1958-1959 |
シカゴ・ブラックホークス |
NHL |
70 |
18 |
32 |
50 |
50 |
6 |
1 |
1 |
2 |
2 |