15世紀後半までにはボスニア・ヘルツェゴビナの全域が
オスマン帝国の支配下に入る。正統派のキリスト教勢力から弾圧を受けていたボゴミル教徒たちの多くはこのとき
イスラムに改宗した。またこのほかにもイスラム教に改宗した現地のスラヴ人、トルコなどから移り住んでボスニア・ヘルツェゴビナに定着したイスラム教徒などによって、この地方ではムスリムの人口比率が高まった。
サラエヴォはオスマン帝国の
ボスニア州の中心となり、宮殿が築かれ、帝国の州知事たちによってオスマン風の都市建設が進められた。多くの住民がイスラム教を受容していたことや、その戦略的重要性のために、ボスニア・ヘルツェゴビナでは他のバルカン諸国に例がないほど文化のトルコ化が進行した。
16世紀から
17世紀にかけて、オスマン帝国が
ハプスブルク帝国、及び
ヴェネチア共和国と
戦争を行った際に、ボスニアは重要な前哨基地としての役目を果たしている。