フィル・エスポジト wikipedia|無料辞書
◆ 来歴
1967年には、電撃的ともいわれるトレードでケン・ホッジ (Ken Hodge) 、フレッド・スタンフィールド (Fred Stanfield) とともに
ボストン・ブルーインズに移籍した。
ケン・ホッジとフレッド・スタンフィールドは、ブルーインズ入団後も従来とかわらず平凡なスター選手にとどまったが、エスポジトはその偉大なる得点能力を開花させ、1968-1969シーズンにNHL初のシーズン100得点超えとなる126得点をたたき出した。また、この後も1971年から1975年までの5年連続を含む現役通算6度のシーズン100得点超の記録を樹立した。
エスポジトは、NHL のオールター戦において第1チーム (スターターメンバー) に、
1969年から
1974年まで6年連続で選出され、1969年、1974年には、リーグの最優秀選手 (MVP) に輝いている。当時、ボストン・ブルーインズのエスポジトファンは、彼の得点を祝うため車のバンパーに次のような文言が記されたステッカーを貼った - "Jesus saves, Espo scores on the rebound." (「イエスは救い給う、エスポジトは、リバウンドを得点する。」)。
1970-1971シーズンには、エスポジトは従来の記録を破り、当時シーズン最多ゴール記録となる76ゴールを上げた。この記録は、
1982年2月に、
ウェイン・グレツキーが対
バッファロー・セイバーズ戦で79ゴール目を上げるまで、リーグ最高記録であった。この試合で記録を抜かれたエスポジトは、ゲームで使用されたパックをグレツキーに手渡しでプレゼントした。なお、エスポジトは、1971年に、シーズン最多ポイントの記録も打ち立てたが、この記録も同様にグレツキーによって更新された。
エスポジトは、1972年に開催されたサミット・シリーズ (Summit Series) で、カナダチームを鼓舞するキャプテンの役割を果たすとともに、このシリーズの得点王に輝いた。これにより、同年のカナダで最も活躍した運動選手に与えられる
ルー・マーシュ・トロフィーを獲得するとともに、
オーダー・オブ・カナダのメンバーに選出された。
また、
1976年開催のチャレンジ・カップ (Challenge Cup) 、カナダ代表や
1977年の世界選手権大会 (World Championships) にも選手として出場をしている。
1975-1976シーズン、彼はチームメートの Carol Vadnais とともに、ブラッド・パーク (Brad Park) 、Jean Ratelle との交換トレードで
ニューヨーク・レンジャースに移籍した。この頃になると、彼の攻撃力も往時の輝きを失いつつあったが、それでもレンジャースのキャプテンを務めて、全試合に出場しチームを適切に導いて、引退するまでチームに有益なポイントゲッターであり続けた。エスポジトは、
1981年に現役を引退し、その後放送のキャスターに転身を図った。
1980年代の中盤で3年間レンジャースのマネージャー及びコーチを務め、
1992年には、NHL チーム数拡大に伴って
タンパベイ・ライトニングの設立に一役買った。
1998年までは、ライトニングの会長及び総支配人を勤め、その後も同チームのラジオ解説者として活躍を行った。
1984年には、
ホッケーの殿堂入りを果す。エスポジトの着用した背番号7番は、一時ボストン・ブルーインズのスーパースターでディフェンスの
レイ・ボークが着用していたが、ボークはエスポジトの栄誉を称えてこれを返上し、感動的なセレモニーを経て、ブルーインズの永久欠番となっている。
◆ 記録、受賞歴
・ 1590ポイント(ゴール数717、アシスト数873)
・ ゴール数歴代5位、アシスト数歴代18位、ポイント数歴代8位(いずれも2005年現在)
・ NHLオールスター第1チーム出場 1969年、1970年、1971年、1972年、1973年、1974年
・ NHLオールスター第2チーム出場 1968年、1975年
・
アート・ロス記念賞(リーグ得点王)1969年、1971年、1972年、1973年、1974年
・
ハート記念賞(リーグ最優秀選手賞)1969年、1974年
・ Lester B. Pearson 賞 1971年、1974年
・ Lester Patrick 賞(米国におけるホッケー界への貢献) 1978年
・ NHLオールスター戦出場 10度
・ シーズン最多ショット記録 (550、1971年)
・ 13年連続シーズン30ゴール以上 (2005年現在史上第2位)
・ シーズン最多ショット (550, 1970-1971)
◆ 生涯成績