バーニー・ジョフリオン wikipedia|無料辞書
◆ 来歴
◇ カナディアンズ時代
ジョフリオンは、14歳からカナディアンズのマイナーチームに所属し、
1951年2月14日からメジャーチームの一員となった。NHL初シーズンで18試合しか出場経験がなかったため翌シーズンにも新人王(カルダー記念賞)の受賞資格を保有していた。そして翌シーズン、伝家の宝刀ともいえるスラップショットを駆使し30ゴール、24アシストを上げ同賞を獲得した。
16シーズンの現役生活で、883試合に出場し393ゴール、429アシストを上げるとともに、689分のペナルティ・ミニッツの記録を残した。ジョフリオンの現役当時は、乱戦模様の試合が数多く見られた時代で、その証として彼も
鼻骨骨折6度、全身の縫い跡400針を負ったといわれる。
1958年には、練習中の事故で大怪我を負い、緊急手術で命が助かるといった経験もしている。その怪我をしたシーズンには、医者の出場見合わせの勧めにも関わらず、6週間後にリンクに戻りスタンレー・カップの決勝戦に出場している。
ジョフリオンに対する選手としての評価は、同時代にチームメートのモーリス・リシャール、ライバルの
デトロイト・レッドウィングスに
ゴーディ・ハウ、
アンディ・バスゲイトらの抜群の選手の陰に隠れがちであって、リーグ全体に名の通るスーパースターの地位を確立するところまでは行かなかったといわれる。事実、1955年(いわゆるリシャール暴動のあった年)には、リシャールを1ポイント差でかわして、得点王に輝いているが、それでもNHLオールスター戦の第2チームにしか選抜されなかった。このことから、内心は不満を抱いてホッケーを止めようとまで考えたが、リシャールやベリヴォーらの説得で踏みとどまったこともあるといわれる。
◇ コーチ・引退後
1968年には完全に現役を引退し、レンジャースのコーチに就任するが、プレッシャーに耐えられないほど繊細な神経であったためか胃痛を基因として、1シーズン経過することなく退任する。
1979年には、宿願であり彼が愛して止まなかったカナディアンズのコーチに就任する。しかし、またも胃痛などによりシーズン半ばで降板を余儀なくされ、アトランタの自宅に戻った。
◇ その他の活動
他方、1970年代から1980年代にかけて、ジョフリオンは
ミラー・ライトという銘柄の
ビールのテレビコマーシャルに登場した。このコマーシャルでは、引退した運動選手として他に、
ヤンキースの
ビリー・マーチンや Bob Uecker が登場している。ジョフリオンは、強烈なフランス語訛りと荘重に聞こえる声、ユーモアのセンスと陽気な人柄で広告界の寵児でもあった。
◆ スラップショットの発明者
スラップ・ショット(slapshot)とはアイスホッケーにおけるシュートの打ち方の一つで、たとえるならばゴルフスイングのようにスティックを大きく振りかぶってからパックを激しく打撃する方法であるが、このシュート方法はジョフリオンが、モントリオール・カナディアンズのマイナー選手であった時代に発明したといわれている。ジョフリオンの愛称ブーン・ブーン("Boom Boom")は、加速されたパックがボードに当たった時の反響音に由来している。
現代のアイスホッケーにおいては特にゴールを遠くから狙う方法として極めて一般的な技術であるスラップ・ショットであるが、初めてジョフリオンのそれを見たリーグ関係者は驚きを隠せなかったと伝えられている。例えば、
トロント・メープルリーフスのコーチであったハップ・デイ (Hap Day) は自身が1930年代にともにプレーした強力なシューター、チャーリー・コナハー (Charlie Conacher) のことを回想しながら、「コナハーのショット以上に強烈だった。スティックを振りかぶったところまでは見えたが、パックがゴールに入るところはぜんぜん見えなかった。」といった旨のコメントを残している。
◆ アイス・ホッケー一家
また、孫のブレーク・ジョフリオン(Blake Geoffrion、
1988年2月3日 - )は、ウィスコンシン大学に入学しアイスホッケーをプレーしている。
◆ 受賞歴等
・ カルダー記念賞(リーグ新人王) 1952年
・ アート・ロス記念賞(シーズン得点王) 1955年、1961年
・ NHLオールスター第1チーム選抜 1961年
・ NHLオールスター第2チーム選抜 1955年、1960年
・ ホッケーの殿堂 1972年
◆ 生涯成績