自転車競技ではかなりの強豪でジュニアクラスでありながら大人と対等に渡り合っていた事から「シニア・スレイヤー」の異名で知られていた。すでに10代の頃から
フレーム溶接の技術を身につけており、マウンテンバイクのフレームを作る以前は
ロードバイク、
シクロクロスなどのフレームを製造していた。マウンテンバイクの製造を始めたのはフィッシャーからの依頼で作り出し、フィッシャーが会社を興すとフレーム製造を受け持つ事になる。
そしてフィッシャーと袂を分かってからは自らのブランドである
リッチー社を設立。高品質なフレーム、コンポーネントを製造する事になる。リッチーのフレームは競技指向の軽量なフレームで知られていた
[この時期(1990年代前半)のマウンテンバイクのフレームはクロモリが主流であり、その中で「P-23」などの軽量フレームを製作していた。]。当初は自らフレーム製作を行っていたが、規模が拡大すると
日本の
東洋フレームにフレーム製作を依頼するようになった。