ジュニアの国内選手権では平均30得点7アシスト、幾度も50得点を達成するなど華々しい活躍で準優勝を果たした。15歳の頃には
パリの国立体育・スポーツ研究センター(INSEP)に入り、ここで後にNBAでプレイする
ボリス・ディアウや
ロニー・トゥリアフらと出会った。INSEP(チームは第3部)での2年目となった98-99シーズン、パーカーは16歳ながら平均22.1得点でリーグの得点王になった。この活躍でプロバスケットボールリーグ
LNBのパリ・バスケット・レーシングと契約、17歳でプロデビューを果たし、プロ2年目にはチームのエース格に成長し、14.7得点5.6アシストの成績を残した。また
2000年のジュニア・ヨーロッパ選手権では優勝を果たした。
NBAデビューを果たしてからも暫くの間はポポビッチHCの叱咤を受ける日々が続いたが、抜群のスピードとクイックネスは即戦力として通用し、01-02シーズンはルーキーながら、77試合中72試合にスターターで出場。9.2得点、4.3アシストの成績を残し、オールルーキーファーストチームに選出された。2年目となる2002-03シーズンにはチームの主力として全試合出場(82試合)を果たし、平均15.5得点はチーム2番目の成績だった。大黒柱の
ティム・ダンカンとパーカーに牽引されたチームは
プレイオフを勝ち進み、4シーズンぶりに
ファイナルに進出。当時のトップPG
ジェイソン・キッド率いる
ニュージャージー・ネッツを4勝2敗で破り、NBAチャンピオンに輝いた。シリーズ中平均14得点を記録したパーカーは2年目にして早くも1つ目のチャンピオンリングを手に入れることになった。
このシーズンを最後に長らくスパーズを支えてきた
デビッド・ロビンソンが引退し、スパーズはダンカンにパーカー、そして
アルゼンチン出身の
エマニュエル・ジノビリらを中心としたチームに移行した。優勝を果たしながらもポポビッチらチームの首脳陣はパーカーのプレイ振りには満足しておらず、このオフには
ジェイソン・キッドの獲得に動いたが、実現には至らず。パーカーはチャンピオンチームの先発の座を死守した。03-04シーズンのプレイオフはカンファレンスセミファイナルで
ロサンゼルス・レイカーズに破れ、連覇はならなかった。翌04-05シーズンのプレイオフでは勝ち進み、ファイナルに進出。前シーズンチャンピオンチームの
デトロイト・ピストンズと対戦し、パーカーは前シーズンファイナルMVPの
チャンシー・ビラップスとマッチアップ。ピストンズの堅いディフェンスにスパーズは苦しめられたが、ジノビリがチームを牽引する活躍をし、またパーカーも平均13.9得点でチームに貢献、ゲーム7までもつれたシリーズをスパーズが制し、パーカーは2つ目のチャンピオンリングを手に入れた。